小林惠子先生が、邪馬台国は奄美大島にあった、と「古代倭王の正体」祥伝社で書かれていますが、遠隔透視で有名なジョー・マクモニーグルも、邪馬台国は奄美大島にあった、と言っています。
そして卑弥呼の大伯父が出雲の権力者で、護国神社のそばにお城があったそうな。卑弥呼の顔は目鼻立ちがはっきりした南方系の顔だとスケッチもあります。
夏は畿内、冬は山口下関市豊田湖の湖畔の居城で暮らしたとか。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないと彼の透視。箸墓古墳は、卑弥呼の時代よりずっと古く5人が埋葬されているとか。
夏の居城は奈良県 鳥見山。卑弥呼の後の女王が鳥見山に住み、巣山古墳に葬られた。
卑弥呼が冬に山口に戻った理由は交易のため。博多湾が大陸との玄関口であった。
卑弥呼は肺炎で亡くなったとか。卑弥呼の墓は、現在安徳天皇の陵墓参考地に指定されているとか。地名は王居址。この陵墓は古来から丸尾山と呼ばれていた。伝承では崇神天皇の皇子の古墳とされていた。
雲南省から奄美大島を経由してやって来たヤマト民族。奄美大島の笠利町に拠点を築いた。
卑弥呼には子供がなかった。