小林惠子先生が、奄美大島に卑弥呼が住んでいたころ、クレタ島まで絹を輸出していたと書かれていたので、ギリシアの壁画を探しました。エジプトと同じで、横顔しかないようです。目のお化粧も、エジプト的です。唐、高句麗、倭国の壁画では、縦縞のスカートをはいた壁画がありましたが、ここでは横縞なのですね。部屋に花とストライプ、現代でもあります。
大黒屋光太夫がロシアでエカテリーナ女帝と謁見、支倉常長がローマ法王とスペイン国王に謁見していますが、一行の中で怪我等で帰国を諦め、現地に永住した人々がいます。奄美大島からクレタ島へ行き、そこに住み着いてしまったケース、その逆のケース、古代は色々あったと思います。最初の百合と燕の壁画、なんとなく和風だと思ったのですが、そんな風に日本人が現地に溶け込んでしまったなら、和風を描く人がいたとしても不思議ではないかもしれません。
百合と燕 写真は全て遺跡猫様から
もしかして、パンタロンでしょうか?
ボクシングをする少年たち。これっってふんどし?
やはり、ズボン型、パンタロンだと思います。
スカートをはくのも、パンタロンも自由だったのでしょうか。それともパンタロンは労働階級の服装???部屋にも横縞を使っているし(現代と同じ)、横縞が好きだったんですね。
紀元前15世紀、棺に描かれたもの
」
孔雀のようなグリフィン
王妃の間だそうです。イルカが可愛い。
写真を掲載されている遺跡猫様のサイトです