ペルシアと古代日本の貿易関係、王室縁戚関係、あれこれの断片が、ジグソーパズルのように出てきた写真。正倉院所蔵の特別なガラス製品や、宝飾品、絵画、織物は、王族しか持ち得ないような品々で、商人が貿易で持ってきたレベルではないのです。小林惠子元岡山大助教授が再三書かれているように、ササン朝ペルシア最後の皇太子ペーローズ三世が、イスラムに攻め込まれて奄美大島に亡命してきた際に、持ってきたと考えてもおかしくないと思います。
アゼルバイジャンの羊リュトンと、春秋戦国時代の兵器の羊飾りが似ています。
カラル・ダシュト 黄金杯 カラーだとわかりやすいですね。
有翼獣文様鉢 アケメネス朝ペルシア 前6世紀 金、銀製 底に菊の文様があります。
本の題名がわからなくなってしまったのです。
「飛鳥とペルシア」または「古代の日本とイラン」井本英一著ではないかな?と思います。
ペルセポリスの黄金板の写真と、動物装飾杯、時代は合ってないけど、似た雰囲気はありますね。
これも時代は違うのですが、足元を見て歩く動物モチーフとしては、そっくりです。
この花も菊でしょうか、デイジーでしょうか?
パルティアの遺物は、あまり本が出ていないですね。これは突厥の草原に立てられた勇士の石像の元の形なのかな?と思いました。
翼のある馬、左右対称の動物たちのパターン
この馬のぱっちりお目目、エレクトラムの黄金杯に似ているんですよね。連珠文様が、単に丸だけでなく、中にも動物が描かれていて凝っています。
皇族の十二単にこの向かい合わせの鳥の文様が使われていたように思います。
「シルクロード染織史」長澤和俊 横長和子著 講談社 2001
パルチアン・ショット
パリのギメ東洋博物館の唐三彩の壺。隣の銀杯もパルチアン・ショットです。
イランで途絶えてしまったラスター彩の陶器を、現代に蘇らせた加藤卓男氏。イランパフラヴィー朝のファラ王妃が、いたく喜んだそうです。
法隆寺に残る、聖徳太子の旗、上の馬二匹に山の文字、下の馬の二匹に吉の文字が入っています。この山という文字に、原始キリスト教の意味があったのは、以前記事にしました。
x-30のカラーがこちら。
x-26bのカラーがこの写真です
アフラシアブ出土 イッシュキッドの宮殿壁画 ソグド人を表す
連珠文様の衣装を着ています。
衣服だけでなくて、馬や象に乗る時の敷物にも連珠文様が使われていたのですね。
鶏と羊の錦で、吉という文字が入っている、アスターナ31号墓出土の錦、カラーで見たいですねえ。
麒麟も、日本にいなかったのにモチーフになっているんですよね。
錦織の靴下がゴージャス
紀氏について書かれた本の三宝塚壁画とアフラシアブ宮殿の壁画を並べてみました。
三宝塚の壁画はこの本より。
ササン朝ペルシアの王の冠の上には三日月と丸い珠。
法隆寺の四騎狩文様にも三日月と珠。
この本の題名は、井本英一氏か伊藤義教氏かどちらかだと思うのですが。これも不明。
ここからラスター彩陶器で有名な、人間国宝 加藤卓男氏の著書より
織部焼のルーツについて。ギリシャのロドス島がオリジナルで、ペルシャのラスター彩で使われ、ベトナムのチャンバ王国でも緑色の釉薬のかかった陶器が製造されていた。そして美濃の織部焼へと伝播した話。おそらく6世紀くらいには、織部焼の原点は、日本にもたらされていた筈。
イランでも唐時代の銅鏡が発見されているのは、ササン朝ペルシアの影響力の広さを感じさせますね。