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秀吉の陣羽織

現在東京国立博物館で開催中の着物展のサイトに、ひときわ目立つ、秀吉の陣羽織が。信長のアゲハ蝶の陣羽織が霞むほど。京都 神護寺にある源頼朝肖像画の着物にも、アゲハ蝶が描かれていますが、それは源氏の家紋だからだと思っていました。なぜ信長もアゲハ蝶なのでしょうか?

 

信長所用陣羽織

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神護寺にある源頼朝肖像画の着物の裾にアゲハ蝶

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blog.kenfru.xyz

kimonoten2020.exhibit.jp

 

秀吉所用 陣羽織

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淡茶地獅子模様うすちゃじししもよう唐織

 

 こちらの秀吉の陣羽織がとても有名ですよね。

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この陣羽織について、素晴らしい考察をされている研究者のサイトを見つけました。

 

この陣羽織に酷似したキリム

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima2.htm

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キリムの裁断について

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima3.htm

陣羽織の前身頃の襟部分、および後身頃の裾はいずれも絨毯の主ボーダー(カルトーチ)を使っている。襟の部分は主ボーダーにあるカルトーチという枠の横割り半分が現れている。

一方後身頃の裾は、カルトーチが七割以上現れている。裾のカルトーチの上部に走る白地に花柄を描いた細帯はサブボーダーである。

 

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前身頃は、絵が逆になっています。後ろ見頃が逆立ちしない裁断だからですね。着物は肩で切ってはぎ合わせる仕立てをしないので、前身頃と後ろ身頃は繋がっています。秀吉と対面する者は、秀吉の顔しか見ないので、後ろ姿が本命だそうです。

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 陣羽織キリムの主ボーダーに似たキリム

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima4.htm

動物文キリム ベルリン博物館蔵 イラン イスファハン16世紀

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カルトーチの絵柄は、秀吉の陣羽織では鹿の戯れ、鹿を襲う獅子、一方ベルリンキリムは走るトラとライオンの走獣文で、かなり図案も色調も違っている。

イスラムシーア派の本拠地コム市(テヘランから少し南)は絹絨毯の製作地として非常に有名である。この製品の小物(長さ1mから1.5m、プシテイ、ザロチャラック)絨毯で見かけることがある。数十年イラン市場で、天然染料のカルトーチ型ボーダーの古いもの(長さ1.5メートル以上)を探しているが出会ったことがない。名古屋の徳川美術館には数枚ある。

カルトーチに動物闘争文が描かれるものは、非常に珍しい。秀吉のキリムのように、カルトーチにも動物闘争文が描かれているのは例外中の例外で、誠に希少価値がある。サファヴィー朝以降、カルトーチに描かれるものはペルシャの有名な叙情詩人“ハーフェズ”“サアデイー”の詩文、あるいは“コーラン”の経文である。

 

 徳川美術館へは何度も行きましたが、絨毯の展示を見た記憶がありません。

 

このキリムはどこで作られたのか

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima5.htm

金糸、銀糸を使った絨毯といえば祇園祭の南観音山町内会山鉾の前掛けとして使われていた17世紀ポロネーズペルシャ絨毯である。
アーリア系イラン人の最後のサファヴィー王朝(AD1502年―1722年)の第5代目のシャーアッパース1世(在位1588年―1629年)が1597年に首都イスファハンを建設した。
地元で獲れる優れた絹、綿、羊毛を使った絨毯を作るため、染料植物の栽培、羊の飼育などの徹底した管理の下で、優秀なデザイナー、織匠を集めて、満たされた環境の宮廷工房をイスファハンや隣の町カシャーンに建設した。
最初は新都に建設された宮殿や城に使用する目的だったが、ヨーロッパの王侯貴族への戴冠式記念、結婚式記念として、金糸銀糸を使った超豪華なペルシャ絨毯を贈呈した。その後彼らは家紋、王家の紋章を入れた絨毯を宮廷工房に注文するようになった。

 

どのように日本にもたらされたのか

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima6.htm

このキリムも祇園祭の南観音山ポロネーズペルシャ絨毯と同じ経路をたどって日本にもたらされたと考えられる。

 

日本にあるサファヴィー王朝アッパース大王のイスファハン宮殿で使われていた動物闘争文様絨毯(サングスコ絨毯)

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima5/kitajima7.htm

イスファハン宮廷工房で織られ、シャーアッバース大王の宮殿で使用されたのち、オスマン帝国の宮殿で使われた。イスラム絨毯の中でもよく知られた二枚のアルダビル絨毯と、傑作中の傑作としてサングスコ家の名前がつけられた絨毯を、サングスコ絨毯と呼ぶが、この絨毯はその中の1枚である。

  

匈奴の絨毯と似ていると思います。ササン朝ペルシアの影響もあると思います。

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 このアカガネ サクラ様の絨毯についての研究サイトは大変専門的で興味深いのですが、目次が全くないので、他にどのようなページがあるのか、さっぱりわかりません。

 

イランの絨毯製造地図と絨毯部位の説明された、このページもありました。

ペルシア絨毯

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http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima7/kitajima7-2.htm

 

祇園祭祇園祭の山鉾に懸想されている絨毯

http://akagane-k.sakura.ne.jp/a-kai/alacarte/alacarte/kitajima3/contents.htm

平成7年4月群馬県立歴史博物館第50周年企画展 中近東絨毯 

副題“ シルクロードの華”の出版物より

近世初期にポルトガルとの貿易によってもたらされた毛織物は、献上品、
進物品として将軍や高官の手に渡り、特に戦国の武将たちの間では人気を博した。また徳川家康時代に将来されたと推定される17世紀の絨毯が若干ながら
現存している。徳川美術館には徳川家伝来の絨毯が10枚ほど所蔵されている。


同書ではこのような超高級絨毯は最初将軍や元首に献上品として日本に入り、後で下賜されたものが祇園に入ったという経緯を推定している。これが現在最も確かな伝承経路だと考えられる。イランなら国宝級のこの絨毯が、祇園祭の町内会所蔵として眠っている。徳川美術館、大阪の国立民族博物館、カネボウ美術館、白鶴美術館その他個人蔵の希少な絨毯が分散している。

イランのような多民族国家の中でも、ペルシャ絨毯を世界に知らしめた極めて独創的なデザインを生み出した遊牧民がいる。イラク、トルコ、イランの国境にまたがって住んでいるのがクルド族である。イランのクルド人はクルデスタン州の州都サナンダッジ市に多く住んでいる。この町は昔セネーと呼ばれて、ペルシャ絨毯の織り構造を上記に示したが、これを別名セネー織りとも呼ばれている。それ程この町から多くの優れた絨毯が生まれた証拠である。

絨毯“シルクロードの華    群馬県立歴史博物館
祇園祭の美        京都市自治100周年記念特別展
The story of Carpets Essie Sakhai
Persian Carpet Carpet Museum of Iran

 

こちらの絨毯店のサイトも面白いです。

狩猟文様絨毯は1870年にローマのクイリナーレ宮殿で見つかった。

パルチアン・ショットは根強い人気のモチーフなんですね。

www.fleurir-inc.com

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ササン朝ペルシアのコスロー1世の時代、金糸銀糸に加えて宝石までついた絨毯があったとか。踏んだら痛そう、と思うのは庶民の感覚でしょうか。

 

アッバス朝期のイスラム法学者であったアブー・ジャーファル・タバリーが著した『諸使徒と諸王の歴史』には、ササン朝の都クテシフォンの王宮に敷かれていた絨毯についての記述があります。

「ホスローの春」あるいは「バハレスタン」(ペルシャ語で「春の国」の意)とよばれるその絨毯は、ササン朝の最盛期を築いた第21代君主ホスロー1世の治世下において製作されたもので、四季をテーマに製作された4枚のうちの1枚とされます。

この絨毯は縦140メートル、横27メートルの巨大なサイズ。絹の地に金糸や銀糸、様々な宝石を用い花々が咲き乱れる春の景色が織り出されていたといいます。可能性としては綴織のキリムに宝石・貴石を縫い付けたもの、パイル織であれば綴織を組み合わせたポロネーズ絨毯と同じ「スフ」の地に宝石を縫い付けたものなどが考えられます。

2009年にカタールで開催されたサザビーズのオークションに出品され550万ドルで落札された「スター・ラティス・カーペット」は、メディナ預言者のモスクへの供物としてインド中西部バローダのマハラジャの命により1860年から5年の歳月をかけて製作されたもので、100万個以上の天然のバスラ真珠のケシ(小さな真珠)にダイヤモンド、エメラルド、サファイア、ルビーが縫い付けられていました。スター・ラティス・カーペットは絨毯ではなくスーザニですが、もしかしたら同じようなものであったのでしょうか。

www.fleurir-inc.com

こちらでも、パジリク古墳のことが紹介されていました。f:id:MeinFavorit:20200709192645p:plain

 

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www.fleurir-inc.com