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「曠野の花 石光真清の手記」

石光真清著 中公文庫プレミアム2017

 

匈奴の末裔が馬賊なのでしょうか???

 

p10 西本願寺ウラジオストック出張所を訪ねた。この出張所には参謀本部から派遣されている花田仲之少佐が清水松月という僧名で住職を務め、機密の調査に当たっていることは、私も参謀本部から密かに知らされていた。
 
p17 田村参謀本部次長の詰問に対して「私は坊主で結構でござります」と答えた清水松月師がと数年を経た後の日露大戦のさ中、私は召集されて第二軍管理部長を務めていたとき、図らずも旅順でバッタリ花田少佐に返り咲いた同師にめぐり逢った。軍服の胸間に数多い略章をつけ、颯爽と胸を張って馬を走らせていたのである。黒い法衣に破れ袈裟の腰をかがめた松月師の面影はどこにもなかった。彼は馬賊を中核とする満州義軍の総指揮官として、ロシア軍の後方撹乱に功績をあげていたのである。
 
p22 人口三万程度の小都会で、市民の大部分は満州人で、南満州とは風俗も違い、街路で人に会えば片膝を地につけるようにして礼を交わしていた。
璦琿アイグンはブラゴヴェヒチェンスクに対する物資の供給地であり、ゼーア金山の砂金が密輸入される土地なので、外観の貧弱さに比して一般に裕福らしい。
 
p23 兵営の前を通りかかると、門前の大樹に格子作りの箱が六つぶら下がっていた。何気なく眼をやると、紫色に膨れ上がった人間の首が一つずつ入っていた。昨日斬罪に処せられた馬賊の首だという。
 
p24 「砂金の密輸はロシア側では秘密ですが、こちらでは公然のことなので、主な商売です。」あの六人は根拠地も首領の名前も白状せず、笑って首を斬られたそうである。雑兵まで立派な死に方をするのが特徴だそうである。表面は総督将軍が軍隊を指揮して治安を保っていることになっているが、その威力は城郭からせいぜい百支里か二百支里ぐらいなもので、それ以外の土地は実際のところ馬賊が治めていると言って良い。将軍や都統などが赴任したり管内を巡視したりする時には、秘かに馬賊と交渉してその保護を受けるのだそうである。
 
p29 北京では端群王を首領とする義和団が蜂起して、大民国建設の旗揚げをした。まずこの血祭りにあげられたのは、不幸にも日本公使館書記杉村氏とドイツ公使であった。各国は直ちに会議を開き、日本軍を主力とする連合軍を組織して天津を陥し、北京に進軍して義和団を撃破し、列国公使館の包囲を解くことができた。この事件で西太后と光緒帝は西安に逃亡し、慶親王が和平条約締結の全権委員として列国使臣と交渉に当たった。