好きなもの、心惹かれるもの

本、音楽、陶器、織物、手芸品をご紹介します。

伊達政宗の右眼は青かった?

東北で、現代でも蒼い眼の日本人がいらっしゃる話は、縄文時代やそれ以後も、蒼い眼の人々がシベリアからやってきたことと関係がありそうに思います。伊達政宗の片目が蒼かったのではないかという説は、とても面白いです。ありえる話だと思います。

2000年の発掘調査で、中国山東省の臨淄遺跡から、ほぼ現代のヨーロッパ人と同じ遺伝子を持つ骨が出土したというのです。臨淄から東北は遠くないですね。当時斉の都は臨淄(りんし)、太公望の姓は遊牧民族羌族である羌。

f:id:MeinFavorit:20200905131038p:plain

 

8906.teacup.com

www.myedu.co.jp

 

「この理由の発端は、昭和49年に空襲によって破壊された伊達政宗のお墓である、瑞鵬殿を再建する運びとなった際にそれに先立ち墓室の発掘調査が行われたことがきっかけになっています。

その際伊達政宗の遺骨も回収され保管されていたのですが、その骨のDNA鑑定の結果、「彼が天然痘で右目を失っていない可能性が高くなった」のです。そこから、「伊達政宗は実はオッドアイだったので、眼帯で片目を隠していたのではないのか?」と言った話が出てきました。

 

伊達政宗の頭蓋骨には、耳部分に「外耳骨腫」と言われる瘤が発見されており、東北地方の古人骨に見ることができる特徴です。この答えは、先述した伊達政宗の遺骨の鑑定結果から正式に否定できます。これは、「政宗の体内に東北人としての血が濃く受け継がれている」ことを物語っています。

瑞巌寺伊達政宗公甲冑倚像や、東福寺霊源院所蔵の伊達政宗肖像には、伊達政宗の眼帯は描かれていません。」

rekisi-omosiroi.com