今まで、火焔土器と呼ばれるもの以外の縄文土器や土偶を、まじまじと見たことはありませんでした。これほどまでにバラエティに富み、高度な技術と独創性、躍動感のあるものであったとは驚きで、圧倒される迫力があります。そして、土偶は遊牧騎馬民族が住んでいた地域、ロシアを中心とした地域のとよく似ている気がします。つまり、ユーラシアから移動してきた人々が、土偶を作ったのではないかと。もちろん全てではなく、もともと日本に住んでいた人々と融合したのだと思います。もしくは逆に、これらの縄文土器を作った人々が、シベリアと北の草原の道を通って欧州へ行ったか、双方かもしれません。
ざくざくとネットから縄文土器の写真が湧いてきました。まだ脳内で整理できていません。縄文土器マップとか解説が見つけられず。田中英道教授の説、北海道から関東までが、先進国であり、先に縄文土器も発達し、後から天孫降臨というイベントにより、鹿島神宮から九州へ全国統一のために船で移動した説に従い、北海道、東北、関東、中部をまず載せました。山梨県は多かったので、分けました。
田中英道教授によれば、縄文時代は縄で文字を表現したそうです。ネットで見ると、竹富島、宮古島、与那国島、琉球で使われたそうです。
左が藁算、右がインカのキープ。
では、カタカムナ文字などの神代文字は、そのあとにできたのでしょうか?
別の角度から
北海道千歳市 美々(びび)4遺跡出土 31.5cm
この土偶を仰向けにするとイルカのような顔?謎です。赤ちゃんを表しているのかと思いましたが。一つで二つのものを現すなんて、とても高度な技ですね。
北海道出土
北海道八雲町 野田生1遺跡出土 高さ31.4cm
http://www2.town.yakumo.hokkaido.jp/kouhou_back/2007-06/05.pdf
北海道根室市 初田牛20遺跡出土
女神と男神でしょうか。二枚目が女神ではないでしょうか?二重丸が女性を表すのは、谷戸貞彦氏の「サルタ彦大神と竜」を読んでわかりました。
八戸市縄文学習館様より
こちらのブログ様が、美しい赤漆の縄文土器の写真をたくさん掲載されています。
http://www.fuwaiin.com/jyoumon-iseki/aomori/4.hacinohe-korekawa-nakai-doki/nakai.html
人面形浅鉢 縄文晩期(中葉)額の右上半部は欠損しているが、「遮光器」と呼ばれる大きな楕円形の目をもち、鼻が立体的で、口端に刺青と思われる刻み目がある。大きさは幅12cm、高さ7cm。
秋田県 根子ノ沢遺跡出土
このサイト様が、変わった形の東北の縄文土器の写真をたくさん載せていらっしゃいます。
数学が使われているらしいです。興味深い考察をされています。
ここに、美しい縄文土器の写真がたくさんあります。転載不可と書かれていますので、ここには載せません。
岩手県軽米町 駒坂遺跡出土
岩手県軽米町 長倉遺跡出土
岩手県軽米町 長倉遺跡出土
注口土器は、縄文時代後半期の東日本地域で盛行した。同時期に土偶、石剣、石棒、石刀等の呪術具も流行することから、その用途を酒類等の液体を用いた呪術に使用した道具と考えられることもある。これら呪術具は、やがて九州にも伝わり、独自の呪術具を誕生させるなど、九州の縄文文化に多大な影響を与えた。
文化遺産オンラインの説明が、岩手県の注口土器の方が先にできていて、それが九州に後から伝わった、と認めているのですね。縄文時代は、東北地方の方が、先進国だった。
出土地不明
文様等の特徴から、縄文時代後期前葉の東北地方北部に分布する十腰内(トコシナイ)Ⅰ式土器と考えられる。この土器文化期では、洗骨した遺骨を壺に納めて埋葬する再葬墓が流行した。遺骨を納め易くするため、壺の肩部付近を水平方向に切断する場合があった。本品に認められる水平方向の2箇所の割れは、再葬に伴う切断である可能性が高い。十腰内Ⅰ式土器は、赤彩を全面に施す例は知られているが、塗り分けた例は大変少ない。また、土器を棺に用いる風習は世界各地で認められる。土器棺墓の多様性を知る上でも本品は貴重である。
繊細でシンプルで、おしゃれですね。現代にも通用する美しさです。
北海道千歳市出土のものと色も花柄のような感じもよく似ています。デザインがとても凝っていることに驚きます。
神奈川県厚木市 林王子遺跡出土
神奈川県相模原市 大日野遺跡出土
東京板橋区赤橋出土
手前の土器は、まるで織部焼に見えますね。
旧石器時代・縄文時代の板橋区の姿や暮らしぶりを紹介する企画展「再発見!いたばしの遺跡」が板橋区立郷土資料館で2019年1月に開催された時の板橋経済新聞記事から。
同館学芸員・中村新之介さんによれば、板橋区は都内でも遺跡の多い地域だといい、「遺跡が多いということは、多くの人が生活していた証しであり、昔から住みやすい地域だったことがうかがえる。南関東では、およそ4万年前の生活の跡が最も古い時代と考えられているが、区内最古とされる『西台後藤田遺跡』では同時期と見られる最古級の資料が見つかった。ほかにも、群馬県の岩宿遺跡に次ぐ国内2例目の発掘調査事例となった『茂呂(もろ)遺跡』など、旧石器時代を研究する上で重要な遺跡も多い」と話す。旧石器時代に続く縄文時代でも、一時期は縄文時代最古と目された稲荷台(いなりだい)式土器が見つかった「稲荷台遺跡」を始め、縄文時代前期の標識資料とされた四枚畑(しまいはた)式土器が見つかった「四枚畑貝塚」など、考古学的に知られる遺跡が区内には多く存在する。四葉地区の遺跡では、住居内貝塚と共にイノシシを模したと考えられる獣面把手や縄文土器が出土しているという。
長野・山梨・東京 出土
縄文土器の口縁部に、全身像の土偶が付けられるものである。本資料のような土偶を付けるものは時期と分布範囲が限られ、数は多くないが、縄文前期から 中期の長野・山梨・東京といった中部山岳から関東に集中している。用途はあきらかでないが、祭祀にともなう神人共食の器とみなす説もある。
別の角度から
長野県諏訪郡富士見町 藤内遺跡出土
なんとなくアッシリアのイメージ。信濃と群馬は、匈奴が来ていたという説があるのです。ですから、ペルシアのイメージを持って居てもおかしくはないのでは。この土器は、なぜか高貴な人物の後ろ姿の面影があります。神官像でしょうか。すると物部氏とか忌部氏?それと上のくるりんとなっている部分がタコの足によく似ていますね。
半人半蛙と呼ばれるものですが、これは蛙ではなく人なのでは。
長野県岡谷市 海戸遺跡出土
「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦著p200によれば、「この壺は蛇の女神の子宮を表したものだった。だから女の顔がついている。祭壇の上に置かれ、蛇首の壺は縄文時代に礼拝されたものだと考えられる。」
長野県飯田市 黒田大明神原遺跡出土
長野県諏訪郡富士見町 曽利遺跡出土
フランスのアールヌーボーの家を現地で見たことがありますが、こんな感じでした。
長野県茅野市
道訓前遺跡と同じ勢多郡
群馬県と長野県に、固まって縄文土器が出土しているようで紛らわしいのです。
「焼町土器(やけまちどき)」は、群馬県西部から長野県東部にかけて比較的限定された地域に見られます。 赤城山麓を中心に分布し、この地域の個性豊かな土器として知られる「三原田式土器」も出土しています。長野県塩尻市焼町遺跡から発見された土器。4個の突起と全体に隙間なく文様を描くのが特徴
三原田式土器:渋川市赤城町の三原田遺跡から発見された土器。頭に立体的な文様がぐるっと巡って付くのが特徴。
火焔土器を田中英道教授は、火焔ではなく、水、波だと思うとyoutubeで話されています。なるほど波に見えますね。古代は海、河が交通の主流だったので水ではないかということなのでしょう。
興味深い記事
埼玉県鴻巣市 中三谷遺跡出土
土でできているイヤリング。部族によって違っていたらしい。
滋賀県 竜ヶ崎A遺跡出土
地図付きで、一帯の縄文遺跡出土品を丁寧に解説して下さっている長野県立歴史館のサイトがありました。「星降る中部高地の縄文世界」大竹憲昭氏と村石眞澄氏です。
この中から初めて知った縄文土器の写真を以下に。
長野県長和町 星糞峠黒曜石原産地遺跡出土
長野県富士見町 藤内遺跡出土
「ももななの独り言」様が、縄文土器から興味深い考察をされています。
長野県諏訪郡富士見町 曽利遺跡出土
人面香炉形土器 裏側がコブラに見えます。
「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦氏によれば、蛇は男性自身のシンボルなので、二面神、片方が女性、片方が男性で辻褄は合うのではないでしょうか。女性と蛇と見ると不思議ですが。見ようによっては、男性自身に見えますね。