謙譲の美徳からすればおこがましいでしょうが、世界の文明の発祥が古代日本だった説を、高橋良典+日本学術探検協会
「太古、日本の王は世界を治めた」「太古日本の宇宙文明が地球を導いた」
という本が写真付きで書いています。それによれば、日本のアヒル草文字、出雲文字などの神代文字で、世界中の謎とされていた石碑などの未読の文字がすべて読めるというものです。
この土器は、南米のアステカ神話ケツアルコトアルやメキシコのマヤ文明のククルカン(羽毛を纏った蛇)のように見えます。古代日本にも、蛇信仰はあり、太い縄で表したと言います。吉野裕子さんは、神社の注連縄は蛇の交尾を表しているという説を書いています。
以下の2枚は同じ土器です。私には、コブラを模したものに見えるのですが。
アステカ神話 ケツァルコトアル
古代ナワトル語で「羽毛ある蛇」(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)
アステカのコアトリクエ像
マヤ文明 ククルカン
球戯場とか。バスケットボールのような球戯?このドーナツモチーフが縄文土器にもありますね。縄文土器1の記事にいくつかドーナツがついている土器の写真を載せました。
総督の館。行政府だったらしい。蛇がいますね。
亀の館
山梨県 釈迦堂遺跡
ナスカの地上絵に似ていませんか?
山梨県立考古博物館
この人がついている可愛らしい土器は、何を入れたのでしょうか?
猪と蛇だそうです。詳細は文化遺産オンラインをご覧ください。
渦巻きの感じがこの光背の渦巻きに似ていると思うのですが、如何でしょうか。そもそも、なぜ仏像の光背には、渦巻きがあるのでしょうか???
考えてみましたが、この渦巻き模様の縄文土器を作った日本人は海洋民族でもあり、水とは切っても切れない人々だった。その子孫が仏教を取り入れた時に、光背に伝統模様の渦巻きを取り入れた。という答えでは如何でしょうか。
高句麗は高麗(KOMA)という発音だったようです。現在の高麗神社があるように、昔から日本にも住み着いていたでしょう。小林恵子説では、高麗、渤海、百済、新羅は、天皇家と親戚関係にあったようです。渦巻き模様は、主に天皇家の好みだったのでは?普段使いではない、凝った縄文土器も、仏像も、神様に捧げるとか、神として崇めるわけですよね。だから高貴な文様で飾るのでは。
高句麗「延嘉七年」銘金銅仏立像
東魏 仏立像
これはとても優美で、なんとなくギリシャの竪琴のようです。竪琴の縦の飾りは、現代にも18金ネックレスであるような感じです。高さ72cm、口径56cmと大型です。
渦巻き模様、この時代から一貫して日本の美術にありますね。波のようにも見えますし、お寺の石庭もこんな感じですし、法隆寺の釈迦三尊像の光背にも、こんな風な模様があります。北魏の仏像の光背にも、よく渦巻きがありました。その関連を指摘した本は記憶にないので、もしかしたら、私が最初でしょうか?
細い流れる線が渦巻きになっているデザインが、上の山梨県甲州市塩山 殿林遺跡出土の壺とよく似ていると思います。下記の法隆寺のサイトに光背の鮮明な拡大写真がありますので、ご覧ください。
www.horyuji.or.jphttp://www.horyuji.or.jp/garan/kondo/detail/
design-archive.pref.yamanashi.jp
「星降る中部高地の縄文の世界」とても素晴らしいレポートでお薦めです。