好きなもの、心惹かれるもの

本、音楽、陶器、織物、手芸品をご紹介します。

小林惠子著書より歴代天皇年表

小林惠子元岡山大学助教授の著書から、歴代天皇年表を作ってみました。人名、役職名が多すぎて、読んでいるうちに訳がわからなくなります。著書によっても多少の違いがありますし、完全ではありませんが、年表を見ながら、著書を読むとわかりやすいです。

三峯神社は狼を祀っていますが、突厥族の始祖が狼という伝説と繋がります。小林惠子さんは、三笠宮殿下の日本オリエント学会に出られていて、宮内庁書陵部の貴重な古文書を見たりされ、現代思潮社での出版は、三笠宮殿下の働きかけがあったということです。藤ノ木古墳被葬者は崇峻天皇高松塚古墳被葬者は天武天皇など、以前から多くの著書がありますが、きわめつけは聖徳太子考でしょう。最新の「聖徳太子の真相」では、聖徳太子倭王多利思比孤、ササン朝ペルシャのシャフリバザール将軍でもあり、ホスロー二世の娘を妻としていたなど、日本と突厥帝国とペルシャの3国に跨って、倭王、可汗、将軍という地位にいた人物だったというのです。非常に刺激的な仮説です。最後の仁明天皇眞子内親王がいらっしゃることに気がつきました。

 以下の著書から、wikiの年表の枠を利用して作りました。一般に掲載されている歴代天皇年表とは違います。正史から抹消された天皇が何人もあります。小林説では、新羅王、百済王と倭王を兼任しているケースがよく出てきます。高麗神社があるように、高麗、渤海契丹あたりの地域と日本は、貿易、戦争でかなり接触があったようです。半島の古墳から出土する遺物と日本出土の遺物が似ていて、同じ勢力が両地域に存在していたようです。

小林先生は、当初から、三笠宮殿下の後押しがあったと書かれていたので、私は天皇家公認の歴史観として読んでいます。

 

聖徳太子の正体」             文春文庫 1993

「興亡古代史 東アジアの覇権争奪1000年」 文芸春秋社 1998

「本当は恐ろしい万葉集 西域から来た皇女」祥伝社黄金文庫 2008

「海を渡る国際人 桓武天皇の謎」     祥伝社 2009

空海と唐と三人の天皇」         祥伝社黄金文庫 2015

「古代倭王の正体」            祥伝社新書 2016

万葉集で解く古代史の真相」       祥伝社新書 2016

聖徳太子の真相」            祥伝社新書 2017

大化改新の黒幕」            祥伝社新書 2019

 

漢風諡

和風諡

民族・地位

家族

 

在位・備考

1

神武天皇

神日本磐余彦尊

 

202年頃生まれ

 

高句麗

大武神王と 

東川王を投影

奴国王 

辰韓

父 高句麗山上王

母 邑婁地方出身

皇后 台与

妃 塩土老翁の娘子 綏靖天皇

 

亀慈出身安息国領域の大夏犬戎の休氏  瓢箪と切れない縁がある

卑弥呼没後の男王

金印つまみは蛇

卑弥呼の墓 平原古墳

227年高句麗東川王即位

238年12月卑弥呼は魏に朝貢

247年北九州上陸、伊都国の卑弥呼殺害

248年広島安芸に住む

奴国王と辰韓王として

後漢から認知

王墓 備前車塚古墳

2

綏靖天皇

神渟名川耳尊

安杵

休氏はのちに葛城氏と呼ばれる

皇后

五十鈴依媛=台与

兄 五瀬命

纒向遺跡あたりに台与は住んでいた

葛城の高岡宮で即位

阿岐国、吉備滞在、伊都国を

滅ぼす

264年大月氏出身大物主大国主の出雲勢力長髄彦から大和を簒奪。

286年慕容廆が大彦と神武朝を簒奪。

3

安寧天皇

磯城津彦玉手看尊

 

太后 台与

皇后 渟名底仲媛

 

志木市に都を置く

4

懿徳天皇

大日本彦

友尊

高句麗

西川王

神武東川王の孫

高氏

子 丹波道主

(高奴子)

288年倭国に来て反対勢力を討伐。292年新城(兵庫県養父神社)で倭王即位

5

孝昭天皇

観松彦香殖稲尊

匈奴末裔

劉氏

高句麗は常に劉氏側

 

孝がつく天皇は、高句麗と親和関係にあり休氏王朝。

296年葛城上宮で即位

 

318年没

 

6

孝安天皇

日本足彦国押人尊

押仁

休氏

武埴安彦と同一人物

 

 

7

孝霊天皇

大日本根子彦太瓊尊

休氏

オオタタネコと同一人物

 

 

8

孝元天皇

大日本根子彦国牽尊

元杵

休氏

 

 

401年没

9

開化天皇

稚日本根子彦大日日尊

太日

 

三輪山王朝

子 中蔕姫命

孫 眉輪王

葛城地方を所有

雄略天皇に孫と放火で殺される

10

崇神天皇

御間城入彦五十瓊殖天皇

五十瓊殖

匈奴末裔

劉 曜

高句麗出身

身長180cm以上

298年劉曜が北九州に征討に上陸。

中国地方の出雲振根を滅ぼす。

318年長安で即位し、国名を趙とした。

328年 劉一族と共に滅亡。

11

垂仁天皇

活目入彦五十狭茅尊

五十狭茅

鮮卑族

慕容 仁

日本生まれ

 在位

313年ー336年

父 崇神天皇

皇后 狭穂媛(神武末裔丹波道主の娘)

316年 丹波道主の子 狭穂彦と狭穂媛が慕容皝に殺される

336年 兄の慕容皝に殺される

纒向に都 殉死を禁止。

12

景行天皇

大足彦忍代別

天皇

318年生まれ

足彦

鮮卑族

慕容 儁

前燕の王

ヤマトタケル=誉津別と同一人物

身長182cm

但馬で成長

父 垂仁天皇(慕容皝 )母 狭穂媛

次男 仲哀天皇

四男 成務天皇

336-346年日本列島を支配下に置き、陸奥蝦夷征伐。

347年日本から遼東へ帰国。352年中国全土の皇帝を自称。

349年 燕国国王即位 

359年病没

13

成務天皇

若帯日子

天皇

逸道仁

百済

近仇首王

慕容氏

武内宿禰

と同一人物

父 景行天皇

皇后 神功皇后百済 比流王の娘)

神功388年没 360年百済帰国。

375年百済王即位。

384年百済の南西栄山江流域で没

14

仲哀天皇

帯中日子

天皇

橿杵

百済 

近肖古王

慕容暐

成務天皇の兄

 

父 景行天皇

皇后 神功皇后

妃 大中姫命 弟媛

子 忍熊皇子

347年即位

362年神功勢から百済を守る為、日本列島から去り百済へ帰国

372年東普へ送使 375年没

15

応神天皇

誉田別尊

秦国 

苻洛王

幽州刺史

五湖十六国出身

百済枕流王と同一

突厥秦氏を伴う

皇后 仲姫命

子 菟道稚郎子

385年神功と近畿の忍熊皇子を打倒390年宇治で即位 

391年百済新羅支配下に置く。

404年広開土王との戦闘で敗死。

16

仁徳天皇

大鷦鷯尊

大鷦鷯

高句麗

広開土王

北魏 安同

北魏広武将軍

 

後燕

慕容 佐

 

パルチア国(安息国)国王安氏と慕容氏の混血 

エフタル

倭王 讃

父 応仁天皇

皇后1葛城氏の娘

磐之媛

 

皇后2応仁天皇の娘

八田皇女

子 大草香皇子

  墨江仲皇子

404年高句麗を侵略した応神天皇に戦勝。

413年宋に送使、倭王の認知。

416年から淡路島

419年難波に大隅宮。鷹狩り。

421年宋建国祝賀使を送る 

427年高句麗高連王に淡路島で敗死する

17

履中天皇

大兄去来穂別天皇

去来穂別

百済 

腆支王

余映

匈奴・劉氏系

蘇我満智登場

父 応神系 

子 市辺押磐皇子

在位 429年-432年

北九州に基盤。

東普から倭王に任命

18

反正天皇

多遅比瑞歯別尊

瑞歯別

 

倭王 珍

淡路島生まれ

父 仁徳天皇

河内の丹比に都

在位 432年-438年

437年宋は安東将軍と倭国王を認知

19

允恭天皇

雄朝津間稚子宿禰

稚子

新羅

衲祇麻立干

倭王 済

 

443年 宋から倭王済として認知

453年以降新羅に亡命、慶州に住む

458年安康天皇に殺される

20

安康天皇

穴穂尊

高句麗

安興王

姓が安 名が興

倭王 興

慕容氏

黒龍で表す)

在位456年ー463年

父 仁徳天皇

皇后 履中天皇の娘

妃 開化天皇の娘(大草香妃連れ子眉輪王)

455年百済王余比殺害

456年北九州から瀬戸内海支配していた市辺押磐王を殺害

458年新羅王(允恭天皇)を殺害

462年宋から認知 

王城石上穴穂宮

463年眉輪王に仇殺される

21

雄略天皇

大泊瀬幼武尊

若建

北燕馮氏末裔

百済重臣 

昆支

倭王 武

兄 安康天皇

皇后仁徳天皇の娘 草香幡皇女

子 百済

牟大

北燕王城は長谷。雄略も長谷(桜井市)に居城。北魏が黒幕

蘇我満智一族を伴う

在位 461年-478年

477年宋に送使。

478年宋が倭王新羅王に任命

478年新羅戦で戦死。

22

清寧天皇

白髪大倭根子命

 

雄略天皇の三男

母 葛城韓媛

 

在位480年-484年

23

顕宗天皇

袁祁之石巣別命

来目稚子

匈奴末裔

市邊弘計

祖父 履中天皇

父 倭王 市邊押磐

在位485年-487年

24

仁賢天皇

億計天皇

大脚

大為

匈奴末裔

市邊億計

別名紀生磐宿禰

祖父 履中天皇

父 市邊押磐王

子 手白香皇女

在位488年-501年

 

25

武烈天皇

小泊瀬稚鷦鷯尊

稚鷦鷯

北燕の馮氏末裔百済

東城王

 

父 雄略天皇

在位502年-506年

百済武寧王に廃位され亡命、仁賢天皇を廃して即位 梁に送使。

26

継體天皇

男大迹王

盤陀国出身

葛城氏

新羅王 

智澄麻立干

エフタル民族

朱智神社は倭王定着記念の神社

王城 山背

欽明天皇宣化天皇

突厥物部尾輿を伴う

ササン朝ペルシャ由来のガラス碗出土

在位515年-531年

495年中国東北部から福井に上陸。武寧王と連合。大伴金村が即位協力

508年北魏に多婆那国として送使。

27

安閑天皇

広国押武金日天皇

高句麗 

蔵王

仁徳天皇子孫

皇后 春日山田皇女(仁賢天皇娘)

継體天皇一族を滅ぼして即位

531年没

28

宣化天皇

武小広国押盾天皇

檜隈高田

新羅 

真興王

父 継体天皇

皇后 橘仲皇女

兄 欽明天皇

王城 檜隈

(明日香村)

536年即位 540年新羅へ亡命

新羅で軍組織を花郎にかえた。

大臣蘇我稲目の後援 576年没

29

欽明天皇

天国排開広庭天皇

斯帰

百済 

聖王

エフタル系

百済在住

父 継体天皇

母   仁賢天皇娘 手白香皇女

皇后 宣化天皇娘石姫

妃 堅塩媛(蘇我稲目の娘)蘇我小姉君ほか

子 用明天皇 崇峻天皇 推古 聖徳太子

南朝 梁の承認

540年即位 554年新羅で戦死

和風諡に天がつくのは天孫族

秦大津父(河勝祖先)の援助。

倭国は570年まで蘇我稲目が握る

30

敏達天皇

渟中倉太珠敷尊

百済 

威徳王

高句麗 

岡上王 

高余昌と同一人物

養父 欽明天皇

皇后 推古(欽明天皇の娘)

子  竹田皇子

在位571年-577年

西突厥に対新羅戦軍事後援を頼み、近江まで飾船で出迎え供応。蘇我物部勢力に追われて倭国を去り百済へ。554年欽明天皇を裏切り暗殺

31

用明天皇

橘豊日命

百済

恵王

父 欽明天皇 

母 堅塩媛(蘇我稲目の娘)

皇后 推古

内政は馬子が握る

576年推古天皇立后

587年4月即位4月病

32

穴穂部皇子

 

突厥族可汗 阿波突厥匈奴後末裔)

 

忠臣突厥 物部守屋

 

587年新潟上陸。物部氏と結ぶ。

587年馬子(妻は守屋の妹)に暗殺され物部守屋氏滅亡。四天王寺に祀られる。

33

崇峻天皇

長谷部若雀

天皇

 

百済 

威徳王がバック

父 欽明天皇

母 蘇我小姉君

妃 小手子(大伴金村の孫)河上娘(蘇我氏) 夫人 布都姫 

子 蜂子皇子

在位588-592年 藤ノ木古墳被葬者

法隆寺崇峻天皇の追悼寺

達頭の意向で東漢直駒が暗殺。

34

聖徳太子

突厥

達頭大可汗

(歩迦可汗)

姓 阿史那

名 玷厥

 

ササン朝ペルシャシャフリバザール将軍、

宰相

 

599年

百済法王

王興寺建立

 

豊総耳

法王大王

 

倭王

多利思比孤

 

追悼寺 広隆寺

550年出生

厩戸

皇子

祖父継体天皇父 欽明天皇

父方エフタル

 

母 鮮卑鉄勒

赤髪に緑目

 

武器商人ユダヤ景教徒、忠臣秦河勝の元で山城で15歳まで成長。

 

以後ササン朝ペルシャで傭兵から出世、皇帝に仕える。

 

「書紀」推古21年条と鎌倉時代「帝王編年記」に尸解伝説。

皇后2

西突厥・室点蜜(シルジブロス)可汗の娘

子 莫賀咄可汗

孫 射匱可汗 

統葉護可汗 

泥利可汗

曽孫 賀魯

 

妃 サマルカンド王族

妃 高句麗嬰曜王

側室

 

皇后3 推古

 

妃 刀自古郎女

橘大郎女 膳氏娘

 

子 山背大兄王

舒明天皇 孝徳天皇天武天皇

 

孫 間人皇女 天智天皇 大津皇子

持統天皇 

文武天皇

元明天皇

 

皇后1

ササン朝ペルシャ皇帝ホスロー2世の娘 

 

子 

ヤズドガルド3世

斉明天皇

 

孫 ペーローズ3世

(卑路斯)

 

卑路斯皇后 舎衛国

王女

 

卑路斯妃 堕羅国王女

 

曽孫 山辺姫王

 

曾孫 元正天皇

聖武天皇

575年新羅の攻撃に西突厥軍を連れて明石に上陸、撃退。ササン朝ペルシャ皇帝ホルムズド4世に仕え勇名を馳せた。

576年新羅攻撃

580年ササン朝ペルシア・シャフリバザール将軍としてホスロー2世を補佐。

590年室点蜜可汗の女婿として突厥可汗達頭になる。娘をサマルカンド王に嫁がせる。高句麗嬰曜王の側室を娶る。

598年ローマ帝国マリウス皇帝に七か国の王として書簡を送る。

599年高句麗嬰陽王にホスロー2世の娘である妻を贈る。

600年淡路島経由明石浦に帰国 

601年播磨に斑鳩寺建立

604年即位 

605年斑鳩宮が大和に完成 

斑鳩寺に石の地球儀。

607年隋が多利思比孤王を承認。

622年大津、琵琶湖経由中国東北部から北方草原の道を通り、ササン朝ペルシア宮廷に戻る。

628年ホスロー二世を殺した嫡男カワード二世を殺す。

632年ヤズドガルド3世即位

636年アラヴ軍により首都陥落、ヤズドガルド3世はブハラにペーローズ3世はクンドゥスに逃れた。

641年ヤズドガルド3世アラヴ軍に殺される。

35

山背

大兄王

山背大兄皇子

即位していた

山羊のような斑の髪

父  聖徳太子 母 蘇我刀自古

郎女 

皇后 舂米女王

子 難波麻呂古王

在位630年-644年10月

王宮は斑鳩宮 唐の認知

36

古人

大兄王

古人大兄皇子

即位していた

古人

 

舒明天皇 

母 蘇我法提郎女

子 倭姫王

天智天皇皇后)

在位645年1-6月 

645年11月天智、天武、鎌足

腹心が古人一族殺害

37

舒明天皇

息長足日広額天皇

576年頃生まれ

田村

百済武王

皇后2 新羅真平王娘善花

子  夫余隆

父 聖徳太子

母 敏達天皇百済威徳王)の娘

皇后1 斉明天皇

天智天皇 間人皇

妃 蘇我馬子

子 古人大兄皇子 

641年孝徳天皇に暗殺される

百済に在住 百済宮で崩御 

百済の大殯をした

38

孝徳天皇

天万豊日

天皇

600年生まれ

高句麗

太陽王

百済義慈王

倭王孝徳

父 聖徳太子

母 ホスロー2世娘

姉 斉明天皇

皇后 間人皇

義兄 高向玄理

子 有間皇子

在位645年-649年大化朝 義慈王

義慈王百済へ帰国

650-654年白雉朝 息子の孝が統治

39

斉明

天皇

天豊財重日

足姫天皇

 

ササン朝ペルシア王家末裔

父 聖徳太子

 

母ホスロー2世娘

 

実弟孝徳天皇

 

甥ペーローズ3世

配偶者1 高向玄理

高句麗嬰陽王の子) 子 高句麗 宝蔵王

  

配偶者2 舒明天皇

百済 武王)

子 天智天皇

子 間人皇

唐の承認 在位654年-661年

643年 百済から済州島に流され天智天皇倭国に亡命してくる。

654年ペルシャ滅亡後ペーローズが妻と娘を連れ奄美大島に3年滞在。657年大和に迎えられ660年妻子を人質に置いて唐へ亡命。

660年百済滅亡

40

間人

天皇

人皇

即位していた

別名

中宮天皇

父 舒明天皇

母 斉明天皇

兄 天智天皇

配偶者 孝徳天皇

子   有間皇子

664年 間人天皇即位 

665年 間人天皇崩御

41

天智

天皇

天命開別天皇

 

625年生まれ

葛城

百済

翹岐皇子

百済武王の太子)

百済で出生成長

父 舒明天皇

母 斉明天皇

皇后 倭姫王(古人天皇皇女)

妃 石川麻呂の娘

子 大友皇子 

高市皇子 川嶋皇子 鸕野讃良皇女

妹 間人天皇

643年15歳頃義慈王済州島に追放され、百済から倭国に亡命。。662年白村江の戦い 唐の承認

668年1月即位 668年高句麗滅亡  670年6月幽閉

42

弘文天皇

大友皇子

大友

 

父 天智天皇

母 伊賀宅子娘

皇后 十市皇女 妃 鎌足の娘 子 葛野王

671年即位

672年壬申の乱で没

43

天武天皇

天渟中原瀛真人天皇

 

622年生まれ

大海人

高句麗将軍 

泉蓋蘇文

 

莫離支 

高任武

 

子 泉男生

父 聖徳太子

皇后鸕野讃良皇女

妃 大田皇女

鎌足娘、宗像氏娘

嬪 額田媛王 

鏡媛王

子 大津皇子 草壁皇子 高市皇子 

穂積皇子 長皇子

忍壁皇子 弓削皇子 志貴皇子 舎人親王 十市皇女

在位 673年-682年

新羅、西突厥、亀茲、吐蕃、回鶻と連合して唐を西から挟み撃ちする。

644年6月蓋蘇文来日

682年琵琶湖を通り大陸へ亡命途上、唐の軍隊に暗殺される。

高松塚古墳被葬者

44

大津

天皇

大津皇子

即位していた

大津

父 天武天皇 

母 大田皇女

皇后 山辺姫王 

(ペーローズ3世娘)

檜隅大内陵蔵骨器は、拝火教徒で火葬された、山辺姫王の遺骨?

唐の承認  

在位683年2月-686年10月

45

持統天皇

藤原宮御宇倭根子天皇

 

高市

諡に姫がつかず、女性ではない。

父 天智天皇

皇后 明日香皇女

子 長屋王

  鈴鹿

唐の承認

在位690年-696年7月

46

文武天皇

天之眞宗豊祖父天皇

珂瑠

新羅

文武王

祖父聖徳太子

天武天皇 

母 鏡姫王

皇后 鸕野皇女

妃  藤原宮子

子  聖武天皇

       弓削道鏡

在位697年8月-707年6月

 

715年文武王 唐に降伏

47

元明天皇

日本根子天津御代豊国成姫天皇

阿閇

 

天智天皇 

母 蘇我姪娘

配偶者草壁皇子

子 聖武天皇

在位707年7月-715年9月

48

元正天皇

日本根子高瑞浄足姫天皇

氷高

 

祖父天武天皇

父 草壁皇子

妹 吉備内親王

715年9月即位

724年2月譲位

49

聖武天皇

天璽国押開豊桜彦天皇

渤海高斉徳

新羅 

文武王の子

文武天皇 

元明天皇 

弓削道鏡

子 安積親王

  安倍内親王

  井上内親王

  不破内親王

神亀聖武 在位724年2月-729年

天平聖武 在位729年2-749年7月737年弟の道鏡新羅に送り、考成王とする。742年道鏡は日本に亡命

50

孝謙天皇

倭根子天皇

安倍

 

聖武天皇 

母 光明皇后

 

 

在位749年7月-758年8月

51

淳仁

天皇

淡路廃帝

大炊

 

父 舎人親王

母 当麻山背

 

在位758年8月-764年10月

52

称徳天皇

 

高野姫尊

 

安倍

重祚

父 聖武天皇 

母 光明皇后

側近 弓削道鏡

新羅考成王であり

文武天皇の子)

在位764年10月-770年

765年道鏡太政大臣禅師

53

光仁天皇

天宗高紹

天皇

白壁

百済

女天

父 志貴皇子

母 紀橡姫 

皇后 井上内親王聖武天皇皇女) 妃 高野新笠百済武寧王末裔)

桓武天皇 

早良親王 

他戸皇子

在位770年10月-777年11月

僧 永中、恵果を通して唐の代宗皇帝に黄金を献上し、遣唐使派遣承認を受けた。陸奥の金が最大の財源。

54

桓武天皇

天國押撥御宇柏原天皇

山部

新羅待中

金良相と

新羅宣徳王

の同一人物

光仁天皇 

母 高野新笠(天高知日之子姫尊)

皇后 藤原乙牟漏 

夫人 藤原旅子、藤原吉子ほか

子 

  安殿親王

  伊予親王 

  嵯峨親王 

  淳和親王

渤海使節に託して黄金を徳宗に献上する為僧永中に託したが、渤海が横領。唐徳宗の承認得られず。

在位785年-805年1月

鷹狩りが得意、住居の南殿で鷹を飼い自ら爪を切り嘴を直す。殺牛の祭りをしたが後に禁止。山部王時代、胆沢城あたりで実戦経験。安殿親王が外征中に阿弖流為を処刑し、安殿の軍事力を断つ。

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平城天皇

日本根子

天推国高彦尊

安殿

新羅

憲徳王

 

奥州生まれ

平壌育ち。

 

空海と同年一生の信頼関係

父 桓武天皇

母 阿弖流為一族

 

 

年号は大同

 

平城は北魏の都で現在の大同市

 

 

皇后 大宅内親王

桓武天皇皇女)

 

妃  藤原帯子

 

子 高岳親王

子 阿保親王

皇太子時代、唐徳宗を助ける為新羅彦昇として対吐蕃戦参戦、798-802年空海を従軍外交官僧侶として中国大陸に5年帯同、戦勝する。

805年5月即位809年5月譲位

伊予親王の唐使上京妨害で憲宗に誤解を与え譲位後、真相を知った憲宗の決断で、811年文室綿麻呂他が護衛し、新羅へ亡命し新羅王に即位。

のちに内乱で暗殺された。

空海が823年新羅に行き灌頂。

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嵯峨天皇

冷泉院

 

神野

 

桓武天皇 

母藤原乙牟漏

皇后橘嘉智子

子 仁明天皇

  正子内親王

809年4月即位 823年4月譲位

唐の憲宗未承認。唐、渤海新羅を敵に回した結果、唐皇帝の信頼厚い空海が調停。空海高野山喜捨

譲位の年、空海が灌頂。

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淳和天皇

日本根子天高譲弥遠尊

大伴

 

父 桓武天皇 

母 藤原旅子

皇后 正子内親王

高志内親王

子 

恒世親王

恒貞親王 

基貞親王

唐 文宗未承認

823年4月即位833年2月譲位

空海淳和天皇に譲位の引導。

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仁明天皇

日本根子天璽豊聡慧尊

正良

父 嵯峨天皇

母 橘嘉智子

女御藤原順子  沢子、貞子 

更衣 藤原紀種子

子 文徳天皇

  光孝天皇

 眞子内親王ほか

在位833年-850年

 

 

 

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突厥可汗が、銙帯(かたい)金・瑪瑙・硬玉製 長さ125㎝ 6世紀 国立慶州博物館蔵

というベルト状のものを身につけていた。魚も付いています。

 

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 透かしの沓のつま先に龍がいます。

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 新羅の古墳出土品は日本のと似ています。

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正倉院御物

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 斑鳩寺にある地球儀 アフリカには食人国と書かれている。西突厥製?

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 斑鳩寺にある地球儀は、この写真とよく似ています。ガラスとトルコ石製のようです。

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法隆寺御物の竜首水瓶の天馬

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四天王紋錦の拡大図

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 法隆寺所蔵聖徳太子の旗 四騎獅子狩文錦

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 法隆寺の救世観音像にある三日月に丸の印が、四天王錦と共通する。

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私が似ていると思った東魏の仏像。救世観音像より50年ほど前だろうか。

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慶州の松林寺にある厨子法隆寺天蓋とよく似ている。

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法隆寺金堂の天蓋をカラーで見たら、飾りの部分は天女でした。

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拡大してみると、屋根の下に、黄金色の動物がいます。この動物は一体何でしょうね?法隆寺のサイトによると、鳳凰らしいです。

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小林惠子著「聖徳太子の正体」p120 

法隆寺夢殿の中に救世観音が秘仏としてしまわれていた。夢殿はパオでは。

法隆寺資材帳にある白檀二本に、ソグド語とササン朝ペルシア文字のパフラヴィー語が刻まれていた。178cmの救世観音は、聖徳太子をモデルにしている。手に持つ宝珠が火炎状で、八角形の神殿の中で聖火を燃やす拝火教の神殿に似ていると井本英一著書「八角表象の表すもの」に書かれている。

生前は、中にダブルベッドサイズの寝具が置かれていた。太子は牛乳を常用していた。

 

 

鷹狩が得意で、自ら鷹の爪も切った桓武天皇秋篠宮殿下は動物、海の生き物、植物にお詳しく、全日本愛瓢会会長もされていますね。

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