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「盗まれた聖徳太子伝承ー古代に真実を求めて」

古田史学の会編 明石書店 2015

 

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九州王朝の多利思比孤の伝承を、聖徳太子という架空の人物にすり替えている、という古田武彦氏の主張を、古田史学の会の会員方が、新しい論説を加えて編集した本のシリーズ。

法隆寺が九州の観音寺を移築したものであるという建築家の本を読んで以来、なるほど、と感心しています。

万葉集に選ばれた歌の景色が、実際にそこに立っても風景が合わない。九州だと景色が合うというのです。

 

p32 元々は、古田氏が松本深志高校で、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」がおかしい、と生徒達に問い詰められたことがきっかけだと書かれています。通説は、安倍仲麻呂遣唐使で中国から帰る際、呉の明州で船出するときの別れの宴会で、月が上がって来るのをみて作ったと書いてある歌。

生徒 呉の国から大和は見えるのかね。
生徒 なぜみんな宴会の時、西向いとったんかね。
生徒 その春日ちゅうのは、中国でそんなに有名なんかね。どうして大和なる三笠の大和と言わんのだい。

 

p33 質問から25年後、博多から壱岐を通って対馬へ船で向かったとき、あるところで西に向きを変える。対馬の西側浅茅湾に入るには、大きい船はそうするのがスムースだから。西向きの水道に入った時に博多方面を見ていた。目の前に壱岐の島があり、船員さんに壱岐の地名を聞いたら、「天の原です」と言われてギョッとした。壱岐に天の原遺跡があり、銅矛が三本出土したことは知っていた。
この歌が作られたのは、ここ天の原ではないか。ここを過ぎれば、春日なる三笠の山は、もう見えなくなる。日本はもう見えなくなる。これは私にとって、一つのエポックとなった。

 

p35 万葉集の歌と前書きは食い違う。まえがきが男の歌、歌は女の歌、季節も食い違う。
今までの九州王朝の歌を採用して、近畿天皇家の歌に作り変え、編集するように命じられた。九州の吉野(ヶ里)の歌を奈良県吉野の歌にする。単語は共通するが、状況は違っている。後世の人に、これを読めば大和でないことはわかるでしょう、と謎をかける。そういうつもりで編集したのではないか。

 

p43 日本書紀は、九州王朝の歴史書を近畿中心に取り替えて書いたというのが私の主張ですが、読者の新庄さんが、あの吉野行きもそうじゃないかと書いてこられた。
毎月吉野へ行っている。白村江の戦いの前に持っていくと、干支日がぴったり当てはまる。桜の吉野ではなく、有明海吉野ヶ里有明海の軍艦の査閲に行っている。白村江が終わったら査閲も終わる。

 

p41 法華義疏を読むと聖徳太子が書いたものとはとても思えない。当人の筆跡に到達して調べないとダメだと考えた。解説を書かれていた東大教授の坂本太郎さんの自宅を訪問し、15分ほど説明し、宮内庁の管理の法華義疏を見せてもらうために推薦状を書いていただきたいと依頼したところ、40分ほどかけて最高の推薦文を書いてくれた。
宮内庁にそれを持っていくと、5日目にお見せしますとの返事がきて、京都御所に、生物学で顕微鏡写真に長じた中村さんと現物確認に行きました。
所有者を表記する場所・部分が切り取られて改竄されていた。墨跡をはっきり削った跡があった。何度か改竄されているのです。

 
「盗まれた聖徳太子伝承」も小論文集です。
聖徳太子道後温泉に行っていないとか、御物「法華義疏」に誤字が多すぎるとか、君が代の君は多利思比孤ではないかとか。興味深いです。隋書俀国伝には倭国とは書かれていない。
俀国(タイ国)と倭国がどこですり替わったのか?