多少の違いはありますが、なぜか山型を好む王族たちがいました。
ウイグル王族供養人像 10〜11世紀
麻布の幡に描かれた図
日本の十二単の柄に似ています。
山にも出にも見えますが、鹿の角と、小鳥もついています。
モスクのように上が玉ねぎ形になっていますね。
新羅だけでなく、この山が縦に3段や4段の冠は、九州でも出土しています。慶州の古墳から出土する宝物は、日本のとよく似ていることが多く、親しい関係だったようです。
中山国国王の野営テントの装飾
左、契丹国黄金の人形
奈良ではなく、太宰府が倭国の都であった、と考察する古田武彦氏の本から。福岡には、都を示す地名も古墳もあるようです。法隆寺は、太宰府にあった寺を移築したという本も、建築家が出しています。
なぜか、日本の神社に三叉矛を頭につけた人形があります。九州だけでなく宇都宮にもありました。鹿児島、弥五郎どん。隼人の統率者であったという言い伝えがあるそうです。