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長野県藤内遺跡と大花遺跡 耳飾など

八ヶ岳の縄文文化という展覧会の写真を見ていて、この有名な縄文の蛇を頭に載せた女神は、蛇神キなのだろうなあ、と思います。琥珀のペンダントや、黒曜石の鏃も出土していて、有力者がいた証拠。今回イヤリングにも興味が湧きました。

下記のサイトから引用:
「八ヶ岳を中心とした中部高原地帯では、縄文中期の遺跡数が大幅に増え、規模も大きくなっている。これは明らかに大規模な人口増が発生したことを物語っている。北の大地のように大量のサケが有るわけでも無く、また海の幸は全くその恩恵にあずかれない高原にあって、何がその人口増を支えていたのだろうか。狩猟・採集が基本の縄文人にとって、やはりその対象も増えていた、つまり、人間にとって生活しやすい環境は、動物たちにとっても生存に適した環境だったのだろうと考えざるを得ない。食料となるシカやイノシシ、その他の動物たちもまた増えていたのだ。 しかし果たしてそれだけだろうか。クリやドングリ、とりわけクリは加工無しで簡単に食べられる食材として重要な意味をもっていたと思われる。縄文人によって、植林され、管理され、栽培と呼べる段階に達していたのだろう。近年のDNAの分析によって、その事はほぼ立証されつつある。ヤマイモ等の根茎類は遺物として残らないが、これらを栽培していた可能性もある。それは見て頂いたような「縄文クッキー」や「パン状の炭化物」によって推測することが出来る。ドングリなどの木の実をすり潰した粉だけでは、水を加えても粘りけは出ない。クッキーやパン状に加工するには、ナガイモや、ゴマの油などの材料が必要である。ゴマの種も発見されているので、既にゴマを食用にしていた可能性は高い。高カロリーの食品を作り出すために、様々な知恵を絞って食品加工を行っていた事は想像にかたくない。それらが、大幅増となった縄文人口を支えていたのだ。 藤森栄一が「縄文農耕論」を唱えた当初は、学界では反論のほうが多かった。どうして中部高地である八ヶ岳周辺のみで、しかも中期に集中して農耕を営むことができるのか。農耕を推測させる遺物、すなわち穀物やその種子などは全く発見されていないではないか、等々。しかし近年、各地の遺跡から、ゴマや、マメと思われる炭化物の出土が相次ぎ、即「栽培」には結びつかないものの、縄文時代に農耕が行われていた可能性は高まったと言える。やがて、新たな「縄文像」」が出現する日は近いかもしれない。」

どうやって、耳から落ちないように、これをつけたんでしょうか。

i の耳飾りですが、デジャブです。同じ縄文のものですから、やっぱり似ています。それにしてもイヤリングに牡牛神ハルがデザインされるなんて驚き。gのイヤリングは蛇っぽいですね。そうなると、耳飾りに牡牛神ハルと蛇女神キの両方が揃います。

1番左のデザイン、下記の縄文の飾りとよく似ています。