古部族研究会編 人間社文庫
絶版になっていた三部作を、文庫で再版したものだそうです。ミシャグジって聞いたことはあるけど何か知らなかったので、読んでみましたが、なかなかにホラーでした。純粋無垢な7〜10歳くらいの男の子を神の子として1か月くらい小屋の中に閉じ込めて潔斎させて、お祭りの日には馬に乗せて、生贄として捧げるような感じ。シベリアで発掘されたスキタイ王族の、クルガンという古墳の思想と少し似ているような気もしました。この場合、名家の息子たちが選ばれて、古墳に一緒に埋められるのでした。埋められるのは、名馬もです。名誉なことだったらしいです。
小林惠子元岡山大助教授の本では、守屋は遊牧騎馬民族出身と書かれていたと思います。この本では洩矢、守矢一族という漢字を使っています。
村落の西、茜の方向に前宮(精進屋)があったようですが、写真がうーむと思う形。牢の印象を受けると本では述べられています。
ミシャグジとは、一言でいうなら、アジアのリンガと共通している部分があるのでは。形としては、ほぼ同じ。ただ、背景にある思想は少し違うかも。それだけ、子どもの死亡率が高かった古代では、生殖と農耕が一大事だったとのことです。ミシャグジ信仰は縄文時代からあったとか。それが濃く残った地域と、そうでもなかった地域は、信仰が違っていた、部族の民族が、違っていたのでしょう。
あらたえとは、徳島の阿波忌部家の末裔、三木家が織っているものだと思っていましたが、それ以前に、なのか、同じ頃なのか、旧麻績郷御糸村では、天白神の子孫八坂彦命の後裔として、あらたえ、麻布を織って大和朝に仕えたと伝わっていて、現在でも子孫の男性が、あらたえを織って神宮に献上しているのだとか。天皇家と言っても、南朝、北朝とか古代ならもっと出雲系、大和系などいろいろだったらしいので、当然、あらたえを織る家系も、複数存在したのですね。
守屋といえば、四天王寺に守屋祠があり、守屋家末裔が守っていると読んだ記憶があったので検索したら、こんな記事が出てきました。
p294
「山の中の古道の形が、戦闘位置の配置になっている、攻守攻撃に良いところに作ってある。」と今井野菊さんの士官だった息子さんが言われたとか。谷間、山越えにも上手に対応していて、近道になっているとか。これは東北の阿弖流爲と大和朝廷の戦争を思い起こさせます。野菊さんは、これは塩と黒曜石の道だったのではないかと言われています。貨幣ができる前だから、銀の道より先に、塩の道と黒曜石の道が必須だったとか。
p295
出雲系の神は、丘によって、山によって、高いところから見ると、ミシャグジ様はじめ出雲系の神が祀られ、それに対抗したような要領のよいところにヤマト系の神が祀ってある。八幡さま、神明さま。だからそこへ行くと、ずいぶん信仰民同士で対抗的な輿の担ぎ方をするとか。それでなければ対抗的な喧嘩をしたとかね、よくそういう話を聞きました。信仰民同士で対抗していたんだね、おらが古いというわけで、おらが古いってこと、そりゃ言います。
ーーーミシャグジという古い土着的な信仰に、あとからヤマトの信仰が入ってきて、信仰面での戦いがあったと。
それで、あれは元はミシャグジの土地だけれども、お諏訪さまの土地だけれども、乗っ取られたんだ、と。行ってみると、神の祀り方がね、ヤマト系の神が主になっていても、脇殿は出雲系の神です。
p296
ーーー例えば、どういう神様ですか。
今井:あのね、大国主命とか建御名方命、事代主命そんなのが主ですね。またヤマト系の神は八幡さまが多く、そこで主神に代わっていても、同じ社殿に祀られていたり、境内社の大きいのが、たいがい諏訪大社だったり、オシャグジさまだったり、大国主命だったり、抹消してしまいきれない神さまなるが故に合祀されて、土民の伝統が残るんじゃないでしょうかね、そんな気がしましたよ。
p298
ーーーミシャグジのあるところと諏訪信仰は重なっている
お諏訪さま信仰のところへ行けば、必ずミシャグジがあり、ミシャグジがあるところにはお諏訪さまがあり、愛知県から焼津付近にはミシャグジはたくさんあるのに、どうしてお諏訪さまがないのかと思うほどない。征服されたのか、西へ行くほど、姿が薄れますよ。奈良県へ行くと、杓子になったり野神になったりして激しく消えるようにね。ミシャグジは消えても、神の樹はあるんです。切り株だけでもね。静岡県の登呂遺跡の分布図をご覧になってくださいよ。遺跡地の段丘や浜近くには、諏訪神社の点在とミシャグジの群在ですよね。拾得遺物は、縄文末です。
ーーー諏訪神社、とくに昔の祭祀の中心であった前宮が、ミシャグジの総元締め的な意味を持っていたわけですかね。
今井:そういうことです。
ーーー守矢さんに祀ってあるミシャグジと、前宮時代のミシャグジは性格が少し違うのですか。
守矢さんのはミシャグジ信仰を統率したり、牛耳るために祀っていますし、前宮の方は、大祝の先祖神として祀ってあるんですね。ミシャグジの祭神についてですが、諏訪に地理的に近いところは、「御子神なり」とあるんです。諏訪はミシャグジは、お明神さまのお子神なり。ですね。神長さんもお子神なり、です。神徒は、十九神の子だか二十一神だかのお子神の正裔子孫ですね。
p300
千鹿頭(ちかと)神は、守矢家の神です。
p302
諏訪大神の后・天八坂彦命の娘の八坂斗女命の故郷、旧麻績郷御糸村を訪ねました。天白神の子孫八坂彦命の後裔として、あらたえ、麻布を織って大和朝に仕えたと伝えるところでして、現在は、麻績神社の年中行事として、八尋の宮で、男子青年が禊をしながら、外部と接触を絶って、あらたえを一定期間に織って神宮に奉納していますよ。この神社境内八社の中にシャグジが祀られていました。外宮の鈴木禰宜さんにご指導いただきました。
天白神が麻を織ったという地方は、北伊勢の麻生田(おうだ)でして、天白神の子孫と伝える家があり、天白神社もあり、天白神の古墳もあります。和波さんという郷土史家にお会いして、伊勢國は出雲民族だから、一緒に話そうや。って親しくなってね。天白神って、呪詛・占の色濃い神であること、八坂斗女神は天白巫女だという話になったり、シャグジより天白神の方が古いと伺いました。天白神と八坂彦神は同神とも書いてある。
p306
石棒を祀る天白信仰民族が、古く住んでいたことは事実ですね。守矢氏は、北斗星信仰でありますから、そう考えるんですがね。八ヶ岳扇状地の天白祭祀とミシャグジ祭祀とは、同じ村に仲良く重層されて祀られていますよ。