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出雲口伝

富氏末裔=出雲王末裔の方のペンネーム斎木雲州著の、出雲口伝の本がとっても面白そうです。大元出版社を作ってまで、先祖の歴史を出版されたのがすごい。

この亀甲紋が、「天盛長歌」皇太子の衣装に使われていて、あれれ?と思いました。日本古来の紋だと思っていたのですが、帯にも使われるこの紋様、ルーツはどこなんでしょうね。と思っていたら、ドラヴィダ族のクナト王が、インドのクナ国から移住してきて、崇拝する蛇の鱗から、この紋を作ったと出雲口伝の動画で明かされています。

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なぜ神社に象があるのか。藤ノ木古墳の馬具にも象の意匠があって不思議でしたが、インドから移住してきた職人さんが残しているなら納得です。

これが藤ノ木古墳出土の馬具の一部の写真 可愛らしい象さん


戦争を避けて、砂漠やシベリア経由で北海道に辿り着いて、東北にまず落ち着いてから、全国に散ったとか。

二つの王家から交代で主王を出して大名持、副王が少名彦と呼ばれるようになった。スクナビコの方が軍事関係を司どり、忍者の原型になったとか。宗像家も出雲系だったんですね。娘を嫁に出して縁戚関係を作ることで平和的に領土拡大して行ったとか。

九州に上陸してきた徐福=素戔嗚だと出雲口伝では書かれているのだとか。アメノホヒ親子という徐福の部下であるスパイを徐福が襲来する1年前に、出雲王家に仕えさせ、主王と副王を拉致して暗殺したという大事件が起きた。分家が人々を引き連れて奈良地方へ移住したとか。

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斉国の王族たちが、始皇帝の攻撃を避けるために徐福と渡来したが、出雲から攻撃を受けて、江蘇省や蘇州へ逃げ戻った可能性があるとか。蘇=イスラエルを意味するので、ユダヤ人だったとか。
子供たちを大勢乗せた徐福の船は五十猛の海岸に上陸し、機織りを教えたので秦ハタ氏と呼ばれるようになったとか。秦氏の末裔の本では何と書かれているのか比べてみたいです。

徐福はアメノホアカリと名乗ったらしい。ユダヤ人とユダヤ信仰もありながら、道教の師匠でもあったとか。北極星と北斗七星を崇拝していた。バビロン捕囚前のユダヤ人は、一神教とは限らなかったらしい。

当時主王 大国主と副王 事(言)代主がおさめていた出雲

出雲王国のルーツはインド。ワニ、コブラ(蛇)、サメは神聖な動物と崇めていた。

徐福がスパイアメノホヒの仲介で、高照姫と結婚することに成功した、と口伝に書かれているなんて驚きです。五十猛という男児が産まれて大きくなってきたのに、スパイ アメノホヒと息子タケヒナドリの二人が、大国主と事代主の二代トップを誘拐して洞窟に閉じ込めて暗殺したのだとか。アメノホヒとタケヒナドリは、処刑されず奴婢になったが、高照姫は息子を置いて実家へ帰ってしまい、徐福は処刑を恐れて、息子を置いて一人で秦国へ帰ってしまったとか。

徐福=ホアカリ天火明命彦坐王)=スサノオ

日本書紀を編纂した忌部子人に子孫が頼んで、そう書かせたとか。素戔嗚が悪く書かれているのは、徐福が悪かったからだとか。

息子の五十猛イソタケは、出雲の人々から当然嫌われていたため、丹波へ移住したとか。秦族を丹波に集めて、丹波国の指導者になった。イソタケから香語山命と名前を改め、一族はのちの海部氏になった。京都 籠神社、奥宮 真名井神社が有名。

徐福の斉国はユダヤ

出雲に残ったのは富家のまま。主王と副王が暗殺された事件を嫌った、正統な富家は奈良の葛城へ移住してカモ家と名乗った。やはり奈良へ移住した西王家の神門臣家アジスキタカネヒコネはカモ家から区別するために、高鴨家と名乗った。

秦国に逃げ帰った徐福はしつこく始皇帝にプレゼンして、またしても少年少女3千人、各種職人をせしめて、今度は饒速日と名乗って3回目の渡航を北九州にしたのだとか。

今度は宗像家の市杵島姫をもらうことに成功。

3回目の来航で連れてきた徐福の母親の名前が、こちらだとか。

徐福の息子五十猛と娘穂屋姫を結婚させて、産まれた長男が村雲。海部氏を引き継ぎ、丹波国から大和の葛城に秦氏を引き連れて移住したとか。海部氏は尾張氏と呼ばれるようにもなったとか。

村雲は、祖父徐福と違って性格が良く、移住しながら地元の住民に稲作を教えて信頼され、出雲王家への尊敬もあったので、先に大和に住んでいた出雲王家の奇日方の妹ヒメタタタライスズ姫と結婚することになった。村雲=初代神武天皇、これが大和王権樹立の真相だそうです。

富家(登美家)は磯城地方に住んでいたので磯城家とも呼ばれていた。二代続けて出雲家から姫を迎え、子供たちは母親の実家磯城家で育てられていた。

これ初耳でした。斉国を建てた呂尚という人物。
呂という漢字が名前についている人物は、世界中の金を管理して、移動を担う氏族が、黄金を使って王を生み出すんだとか???呂不韋は知ってたけど。

劉邦の妻が呂がつくんですね。

数百年後に、北九州の物部王国と、大和王朝が、祖先は同じだけど戦い、それが倭国大乱の真相なのだとか。

ヒボコ族が、出雲王国と大和王国を分断する形で

欠史八代の孝の字がつく天皇は、九州に戻っていたらしい。

アラハバキが出雲口伝に残されているなんて興味津々です。

星信仰は古代エジプトに由来する。シリウスが登ってくる頃にナイル川が氾濫する。シリウスは一部の人間の魂の故郷なのだとか。道教北極星を信仰して、太一と称するようになった。

竹内文書はよく知られていますが、出雲口伝は初めて聞いたので、妙に感心してしまいました。学校で習う歴史の8、9割は嘘、と矢作直樹教授の本に書かれていました。こういう斬新な口伝の方が魅力的に感じます。