アマテラスは太陽神で、男性神だと読んだことがありますが、田中教授はアマテラスは女性神だと思われています。
最初に田中教授の本を読んだのは、支倉常長についての本でした。東大仏文科卒業後、ストラスブール大学で博士号取得、ローマ大学、ボローニャ大学、ベルリン大学でも客員教授などを務められた方です。たくさんyoutubeに上がっています。視点がとても興味深いです。
あとで奥州藤原氏が登場しますが、もともと、藤原氏(中臣氏)と物部氏は関東にいたのですね。初めは東国を日高見国と言って、東国の方がひらけており、あとから関西が拓けた、ということは目から鱗でした。ユダヤ人である秦氏が、前方後円墳を造ったというお話もなるほど、と思いました。
8世紀以降、秦氏は、松尾、東、羽田、畑、川端、八田、矢田、服部、神保、田村、島津、永倉、小松、越智、高尾、長宗我部、林、高橋、原、井出、赤染など苗字を変えて現代まで子孫が残っているそうです。昔勤めていた会社には、そのまま秦さんという女性がいらっしゃいましたが、身長165cmくらいの大柄の方でした。
「即位の礼で、高御座が京都から動くということは、固定する皇居でなく移動する皇居であるということが、遊牧民的だなと思う。神輿も動く。」「天皇は動いてやってきた」というご指摘が鋭いです。「幕屋を作って、幕を開けてですね」と拝聴して、高御座がパオやゲルに見えて来ました。
そして田中先生は、猿田彦はユダヤ人だと思われていらっしゃいます。旧約聖書が、日本では神道にあたるそうです。神仏習合を考え出したのもユダヤ人。
「アマテラスの岩戸隠れは、富士山の爆発を意味しているのでは。日高見国からは鉄が出た。関西は銅が出た。記紀に富士山が言及されていないのは、書いたのが関西の人で富士山を見たことがなかったからでは。鹿の骨の占い、神事を鹿島神宮でしていたのが中臣氏。日高見国は関東と東北で、今の飛騨もそうだった。」
「ももななの独り言」というブログ様の「鳥の眼で見る」シリーズの文章に以下の興味深い文がありましたが、関連していると思います。小林惠子説によると、物部氏は西突厥族です。
ここから「ももななの独り言」:
「香取神宮は鹿取神宮だったのではないか。鹿は飼ってもいたし食用にもしていた。」
鹿島神宮、鹿取神宮、兄弟のような神社だったのかもしれません。
「伊勢神宮ができる前は鹿島神宮と香取神宮が栄えていたことを知ってほしい。
神武天皇より前の皇室の源流が、鹿島神宮、香取神宮である。スサノオ系(弥生系)が関西に落ち着き、アマテラス系(縄文系)を忘れようとした。アマテラスがおられたのが高天原=日高見国。藤原氏、中臣氏のいたところ。
前方後円墳は、皇族のお墓。しゃくし塚古墳(千葉県香取郡)もその一つ。仏教が入ってくると古墳は作られなっていく。」
「大阪や奈良よりも、千葉に1番前方後円墳が多いのは、そこが皇族の住む都だったから。天孫降臨の天とは、東国(関東)のことである。秦氏が和同開珎を流通させようとして失敗した。多胡氏と秦氏は原始キリスト教徒で、日が昇る国を目指して、アフリカからやって来た。」
多胡氏の胡という漢字が聖域の出身を表していますね。
支倉常長をメキシコ、ローマ、スペインに送ったのは伊達政宗というよりは家康である。
船奉行(外務大臣のような役目) 向井将監は、メキシコまでは、支倉常長について行った。ウイリアム・アダムス(英国人)を使ってスペインと交渉させた。
田中先生の講演の資料