好きなもの、心惹かれるもの

読書感想、音楽、陶器、織物、雑感などを書いています。

「野草と野菜のクスリ箱」

東城百合子著

 

野草にお詳しかった昭和天皇も、植物の効用についてよくご存じだったと思われます。

wikiより

南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日慶応3年4月15日〉 - 1941年昭和16年〉12月29日)は、日本博物学者生物学者民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ藻類コケシダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。調査に基づいて生態学ecology)を早くから日本に導入した。1929年には地元で、昭和天皇進講し、粘菌標品110種類を進献している

1929年(昭和4年)6月1日に昭和天皇を神島に迎え、「長門」艦上で進講(天皇の前で学問の講義をすること)を行なった

昭和天皇は皇太子時代から一貫して生物学に強い関心を持ち、とりわけ興味を示したのが、海産生物ヒドロ虫と粘菌(変形菌)の分類学的研究であった

熊楠の粘菌学の一番弟子であった小畔四郎は昭和天皇の博物学等の担当者・服部広太郎の甥の上司という関係で、服部から生物学講義のための粘菌の標本を見たいとの依頼を受けた。1926年2月、小畔から熊楠に手紙で、この機会に粘菌標本を40-50種類献上してはと相談した。これに対し、熊楠は37属90点を、目録・表啓文・二種の粘菌図譜とともに11月10日に進献した。この90点は日本の粘菌を研究する上で基本となる種を網羅する目的で選ばれた

1929年3月5日、服部広太郎が熊楠邸を来訪して仮定の形で進講を打診。4月25日、進講の決定を知らせる服部広太郎の手紙が届く

1929年6月1日午前8時、御召艦長門が田辺湾に姿を現す。熊楠は正午過ぎ田辺から漁船に乗り神島近海で待っていた。天皇は午後5時30分に採取していた畠島から長門に帰艦し、熊楠の進講を受ける

熊楠はウガ、地衣グアレクタ・クバナ、海洞に棲息する蜘蛛、ナキオカヤドカリ隠花植物標本帖、菌類図譜、粘菌標本を持参。この内、蜘蛛、ナキオカヤドカリ、粘菌標本を献上した。粘菌標本は110点にのぼり、先の進献で漏れた普通種と稀産種、変種が中心で増補するのが目的だったと思われる。入れた箱は大きなボール紙製の森永キャラメル箱に入れて献上した。これは蓋が開けやすいためといわれてるが、自ら持参するのに軽いものを選んだとも考えられる

熊楠が所持した標本は国立科学博物館に寄贈され、今は筑波実験植物園にある。一周年の1930年6月1日に行幸記念碑が神島に建立された

1962年、白浜を訪れた昭和天皇は雨が降っている田辺湾に浮かぶ神島を見て思いを馳せ、熊楠との一期一会を懐かしみ「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠まれた。その和歌が刻まれた御製碑は、1965年に設立された南方熊楠記念館の前庭に立っている

徳川家の薬草園もあり、やはり皇族、貴族、武将は命に関わる植物の知識は貴重なものとして把握していたはず。それが、現代では雑草として下に見られているのはなんだか変ですね。

最近、落花生の皮を剥いて、ミルにかけてパウダー状にして、黒すりごまと食べるのが美味しくて気に入っています。この本にも落花生の効用について書かれていました。よもぎは、切り傷に巻き付けておくと早く治ります。バンドエイドよりも肌に優しい。カラーが多用されているので見やすいです。

こちらを読んで、メモしてスーパーへ行き、裏をチェックすると、うーむ、となります。知らぬが仏。先進国の中で、日本が1番規制が緩く、添加物が多用されていると読んだことがあります。フランスとイタリアはとても厳しいみたいですね。国民が食の安全に関して、とても関心が深くてすぐ行動する。チャールズ国王も、マルガレーテ女王も、ご自身のBio農園をお持ちですし。