好きなもの、心惹かれるもの

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あの戦争

昔、豪州の大学付属語学学校にいたとき、クラスは10人くらいだったのですが、日本人3人、スウェーデン人1人、残り6人が韓国人でした。ある朝クラスに入った途端、一人の韓国人女性が「独島を返せ〜!」とシュプレヒコールをしました。韓国語でしたが、間違いなくそういう意味であったと思われます。

別の日に、隣に座った30代前半と思われる韓国人男性に、「OOとXXにも聞いたけど竹島って知らないって言われた。君は?」と聞かれて、実は当時の私も全く知らない地名でありまして、「何それ?」と答えてしまったものです。

続けて私は、「古代、高句麗百済新羅という国と日本は仏像や僧など交流がありましたね。」と漢字を書きながら説明したところ(ハングルしかわからない人々と、知識階級は漢字も同時に勉強するとか)、その視点に、その韓国人男性はいたく喜んだようでした。つまり、韓国内ではやれ竹島だ、慰安婦だと騒がれるものの、おそらくその男性は日本に行ったことがあったか、もしくはビジネスで日本人と交流があり、一方的に日本が悪いという風潮には賛成し難いと思っていた節があるのです。そこに私が現代ではなく、古代の両国の交流に視点をずらして、カメラを引くように遠くから両国の関係がどうであったかと、違う見方を見せたので、それはいい考えだね、という風にニコニコしてくれたのです。

両国の古墳と出土品が激似であることも、以後どんどん発掘発表があり、王族同士の婚姻関係も想像できるわけですね。一期一会でそのクラス以後、私は大学へ、そのクラスの韓国人学生たちはみな社会人で、一時的に英語ブラッシュアップのために来ていただけなので二度と会うこともありませんでしたが、きっとそういう視点で見ていてくれるのだろうと思います。

それからだいぶ時を経て、パリの語学学校にいた時。シンガポール人の医師だという45歳くらいの男性から、「日本人は、昭和天皇に戦争責任があると思っているのか?」と聞かれました。こちらも不意打ちで、全く適当な答えも見つからぬまま、「昭和天皇はまだ若くて、陸軍に裏切られた。」的な答えをしたと思いますが、彼は納得できない顔をしていました。彼も、おそらく親族と日本軍との何らかの接触があり、真実を見極めたいと思っていたのでしょう。もっとしっかりした裏打ちのある答えが日本人としてできるようになりたいということもあり、また大正生まれの伯父が若くして戦死しているのに、どこで死んだかもわからず、骨ももちろん帰っていないことから、先の戦争は何だったのか、本を読むようになりました。そこでこのブログにも、戦争関連の記事がところどころ、出てくるのです。

今言えるのは、推理小説の犯人探しと同じで、経済的に最も利益を得た国際的団体が、国を跨いで戦争を起こしたグループ(ex.コンツェルン)である、という説が正しいのではないかということです。国対抗戦に見えるけれども、利を得る団体は国籍を問わないということ。利益団体の対立だということ。八百長が多かったとも読みました。

例えば王冠を捨てた恋で有名な、エリザベス女王の父王の兄、エドワード8世ですが、彼は英邁で戦争に反対していたため、謀略により英国追放になったという説があります。女性のために王冠を捨てたわけではなかったようです。同様に、大正天皇は聡明で、戦争に巻き込まれないように馬鹿のふりをしていたが暗殺されたという説も読みました。同時代の英国と日本の戦争に反対だった君主に降りかかった似た運命。では昭和天皇はと言いますと、本心ではなく、やむにやまれず(家族を人質に取られた説も)、戦争に巻き込まれていったという説もあります。

また米国南北戦争(1861.4-1865.4)で使われた武器が、戊辰戦争(1868.1-1869.6)でも使用された。とどこかで読んだことがあります。武器が使い回しされていたのですね。きっと他でも国から国へ、中古武器の市場があったのでしょう。根来寺契丹(遼)へ武器を輸出していた記録があるのですから、以来ずっと武器市場が形成されていたのかもしれません。

多くの説があり、具体的にどれが真実なのかはわかりませんが、少なくとも朝鮮戦争においては、経済的利益を受けた団体は多かったようです。新井信介氏、落合莞爾氏の話が全て正しいとは思いませんが、以下気になったことを貼り付けておきます。これを聞いたyoutubeが今見つからないので、メモだけ。7月13日の記事と重複するところもありますが。

*226の決起将校は処刑されたことにして、北ベトナムビルマ方面に秘かに派遣され、重慶政府の蒋介石援蒋ルートの遮断にあたり、ポツダム宣言後はベトナム兵を米軍との戦いに鍛え、軍事指導した。北ベトナム軍が日本、南ベトナムが韓国+米国軍  

*幕末に官軍に敗れた戊辰戦争 奥羽越列藩同盟の人々のうち、死んだのは半分くらいで、残り半分が敦賀から日本海を渡って羅津に着き、遼寧省に入って現地女性との間に子供を儲け、その子孫が現代の遼寧瀋陽)軍区の兵士になっている。羅津は応神天皇出身地。水戸天狗党は固まって行った。羅津ラジンはシナ人が入ってはいけないことになっていた。

*諏訪(真田)の軍法 負けて生かす

*蒙古馬賊=日本人 鎖国20年前の天保時代から行っている。

終戦時のシベリア抑留者80万人、50万帰国、10万が不明。米国学者の、あと20万人の兵士の生死が不明だとの研究があり、この人たちはどこに行ったのか。遺骨採集に行ったらない。→中国人民義勇軍として北朝鮮へ行かされ、朝鮮戦争を戦った。

*李承晩が、山口県知事田中義一の息子31歳田中龍夫に6万人、南に入れてくれと頼んだ。
遼寧軍区、北部軍区、第五軍区 遼寧省民だが朝鮮語を話す。最新の武器は遼寧に与える。内戦があれば遼寧が勝つ、日本兵の子孫だから。遼寧軍に日本人を当てたのは周恩来がやった。周恩来毛沢東を騙してやった。
*核は四川省に持って行った。
 
*新井信介氏のブログから 昭和天皇の母、貞明皇后明王朝の王女で朱貞明が本名。
 
どこかで拾った話

 *笹川良一が台湾から石油を輸入して、零戦に当てていたという噂。