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真実の歴史

新井信介氏のぬなとチャンネルと落合莞爾氏のyoutubeを見ていたら、以下のことに言及されていました。

226の決起将校は処刑されたことにして、実はベトナムビルマ方面に秘かに派遣され、重慶政府の蒋介石の後方撹乱(援蒋ルートの遮断)にあたり、

ポツダム宣言後は、そのままベトナム兵を米軍との戦いの為に鍛え、軍事指導をした。

 

*幕末に官軍に敗れた奥羽越列藩同盟の人々は、敦賀から日本海を渡って羅津に着き、遼寧省に入って現地女性との間に子供を儲け、その子孫が現代の遼寧瀋陽)軍区の兵

士になっている。羅津は応神天皇出身地。

 

*国内に対立があり、揉め事がひどくなったときは、処刑したことにして海外に逃がし「遠くから、日本国のために生きろ」とする。

 

終戦時のシベリア抑留者30万人の兵士の生死が不明だとの研究がある。この人たちはどこに行ったのか。彼らはロシア人の中に入って、日本のために生きると決意し、ソ連解体(ゴルバチョフ革命)の地均しをしたのでは?(新井氏)

シベリア抑留者の一部は、中国人民義勇軍として北朝鮮へ行かされ、朝鮮戦争を戦った。(落合氏)
 

私には、上記のお話が真実であったのはわからないわけですが、生き証人の証言があったのです。満州で就職、8月15日の1か月前に赤紙が来たが、案山子の軍隊の為の召集だった。南行きの列車に乗っている途中、ソ連兵がいて、列車が北に進んで行くのを見て直感で飛び降りた。他にも満州に土地勘のある現地兵は、ここで飛び降りたという。中国語と英語ができて、命がけで米国の短波放送を聞いて自分で情報を取っていたにしても、素早い行動。大卒ではなかったが、英語で論文を書いて米国大学に認められて博士号を取ったなど、並の人にはできない努力の積み重ねです。実際に、独力でこの難儀な時代に人生を切り開いた人の証言を初めて読みました。戦後中国にエンジニアとして止まり、高給をもらっていたものの、毛沢東の様子を見て先が暗いと見越して、戦後5年して日本に帰国した、というところも驚きです。そんなに簡単に日本人であることを隠して、中国で就職したり、はたまたやめて、日本に帰国することができたなんて。エンジニアってどこの国でも生きていけるのですね。

 

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このサイトの管理人上田博章氏は、ご尊父がロシア諜報が役目の上田中佐。東条英機石原莞爾の下でも数年働き、ワルシャワ大使館で諜報活動、あの陸軍中野学校副校長。ご本人も5歳でワルシャワ空爆を経験。職業はアナウンサー。江戸時代から戦時中の、珍しいお話を書かれています。役職があろうとなかろうと、修羅場の時代に生き延びて日本で畳の上で亡くなった父上も強運ですね。

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