前から不思議に思っていたのが、女性の服飾とヘアスタイル。例えば平安時代はあの重い十二単を貴族女性は着ていたけれど、それは暖房が十分でなく、寒いからいわば布団代わりに重ねてお金持ちは着ていたということ?御簾や屏風の影に隠れて顔を見せないのは、なんとなくイスラム的な気がします。ペルシャから貴族も移民してきていたから、そういう影響もあったのかしら。
天武天皇の頃、女性皇族も馬に乗ったようなのですが、どのような服装だったのかピンと来ない。中国の歴史ドラマを参考に見てしまいます。何かと唐時代のファッションが日本でも採用されていましたからね。あの男性貴族の冠がそうです。
江戸時代の町人や武家の結い上げた髪型。あの複雑な髪型を、毎日結い直していたのかしら。首や襟元が寒いはずだけど、日常マフラーをしていたようには見えない。なぜアップスタイルでないといけなかったのか。それまでは、長く垂らして、後ろで結んでいただけだったのに。
帯も江戸時代に現在のような太さに変わっているのは、前の部分を財布代わりに使えるためかしら。
江戸時代以降の着物の脇の下が開いているのは、男性がそこから手を入れて胸を触るため、とどこかで読んだことがあります。どの時代でも、農民は複雑な髪型はしなかったと思いますが、庶民でも紬とか絹の着物を着ていたのは、世界で日本だけと読みました。男性だと、なぜ額の上を剃っていたのかしら。これ、少し満州族のヘアスタイルと似ているのが不思議で。三つ編みはしていないけれど。
欧州だと、やたらと胸元を見せる、襟ぐりが深いカットのドレス。貴族だけだけど。マリー・アントワネット時代のスクエアカットにしても、できるだけ胸を見せるタイプのデザイン。そもそも寒いですよね。ナポレオン時代になるとくじらの骨でスカートを膨らませるタイプでなくて、ストンとスッキリしたデザインでハイウエストのドレスに流行が変わる。舞踏会では、天井の本物の蝋燭のシャンデリアから、ロウが垂れて火傷することもあったらしいので、顔や胸を火傷したらさぞ熱かったことでしょう。鹿鳴館ではどうだったのかしら。胸の大きさで勝負する土壌が当時からあったんでしょうか。でもグラマーでなくても、胸を見せるデザインのドレスを当時は着なくてはならなかったんですよね。
現代だと歌手、ピアニストまで胸を強調するドレスで演奏される女性も多いです。例えば売れっ子ロシアのアイーダ・ガリフッリーナはこんな感じ。日本の若いクラシック演奏者の写真も、胸をしっかり見せるドレスで写っている方もよくあります。売れるためにはそこまでしないと難しいのかなと思ってしまうけれど、演奏者の個性によるみたいですね。
服飾・髪型の歴史の写真だけでなく、その背景や意味について研究した本を読んでみたい。単に権力者の好みや、お抱えデザイナーのお勧めだったのか、何か意味があったのか?
