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Hubert de Givanchy

ユベール・ド・ジバンシーが貴族だとは知っていましたが、今回あれこれ記事と写真を読んでみて、とても美意識の高い方で、経営も上手い方だったのだなあと思いました。オードリーも貴族出身だし、父を早く亡くしているので共通点があります。そして生涯未婚。男性のパートナーがいらしたのかも。オードリー・ヘプバーンが、遺言執行人にも指定していたそうで、親友というより実質兄という感じの関係だったようです。最初の夫メル・ファーラーとユベールと3人でバカンスで海辺で日光浴している写真もありますし、2人の夫以上に長い信頼関係で、ほぼ家族ですね。

ユベールは共通の友人から、ミス・ヘプバーンが映画の衣装を選びに行くからよろしく、と電話で頼まれて、ファンだったキャサリン・ヘプバーンが来るのだと思い込んでいたとか。オードリーが来てがっかりしたでしょうが、映画サブリナの撮影のために、どうしても衣装を選んで持ち帰らねばならぬオードリーは必死。そこで新しく衣装を作るには時間が今はないから、今展示している在庫でよければ、と言われた彼女が3着を選び、一流モデル仕様でウエストが50.8cmと細い服を、彼女がお直しせずにそのまま着られたことと、あまりによく似合って、普段着から一変して彼女が変わって見えたことにユベールが感動して、こんなに素敵に着こなしてもらえるならば、と今後も彼女の服をオーダーメードしていくことに同意したのだとか。ユベールが25歳、オードリーが22歳。オードリーはこの時から死ぬまで、ウエストが1cmも変わらなかったのだそうです。二人は40年もの関係だったのですね。13年と14年の夫の関係より深いわけです。

オードリーは、「サブリナ」の衣装デザイナーとして、映画にユベール・ド・ジバンシーのクレジットがつかなかったことを申し訳なく思っていて、ハリウッド撮影所に招待したり、ユベールの香水のモデルになった際に報酬を辞退したりしています。この写真は、ハリウッドでの写真で、彼女が来ている赤い服には大きな白いプードルのアップリケがついているんです。

サブリナ撮影中に、ジバンシーをハリウッドに招待した時の手土産として、ユベールが白い大きなプードルのアップリケが左胸に施された赤いワンピースコート?をプレゼントしたようです。

ユベールがオードリーのために制作した衣服は、本当に職人芸で、27歳の頃から完成されていますね。彼女の骨格やスタイルに合ったデザイン、首の長さ、体が薄いことをカバーするためのハイネックやハイウエスト切り替え、高級な布地に正確な裁断と縫製、飽きのこないデザイン、前、後ろ、横、どこから見ても美しい形。ブラウスやコートのシルエットや脇のスリットなど細かいところまで神経が行き届いていて。

このユベールの隣のオードリーが着ているのが、上の赤い洋服です。

パリが舞台のオードリーの映画は「サブリナ」「パリの恋人」=Funny Face「昼下がりの情事=」Love in the Afternoon「パリで一緒に」=Paris When It Sizzles、「おしゃれ泥棒」How to Steal a Millionと5作もあるんです。その5作ともユベールの衣装が使われています。

最初の出会いで彼女が選んだ三着の写真です。このウエストの細いこと!運転手の娘だったサブリナがパリのコルドン・ブルーで料理修行後、米国に戻ってきて駅で迎えを待つシーン。

このお帽子、真ん中は空いているんですね。

別人に垢抜けたサブリナをプレイボーイ役のホールデンがダンスに誘うあたりのシーン

これはカメラテスト

最後の方のシーン。ユベールはこのリトル・ブラックドレスは単体のつもりだったけれど、オードリーが帽子を合わせたいと望んで、これを選んだとか。そこで、ユベールは彼女のセンスにも感心したのだとか。彼女は高いハイヒールを好まず、若いときから4cmくらいの低めのヒールの靴を履いていますね。

このバックスタイルのVカットがお洒落だと思います。

前見頃、真ん中で布地をはぎ合わせて、深いダーツが脇と前に2本ずつ入っています。

私が知っていた顧客有名人は、エリザベス女王の伯父、王位を捨てて愛人を選んだと言われたウインザー公爵夫人、マリア・カラスソフィア・ローレン、最後のイランのファラ皇后など。

ファッションデザイナー引退のため、最後のコレクション発表の際には、最前列に有名メゾンのデザイナーたちがズラ〜りと並んで見つめる。その中にあの森英恵さんの姿もありました。成功していたのに破産になってしまった森英恵ブランドを思うと、ユベールさんは本当に才覚がある方ですね。

64歳の若さで、オードリーは救いようのない癌が急性進行して、米国からスイスに帰国が危ぶまれた際に、ユベールが顧客のメロン財閥のランバート・メロン夫人に頼んで、プライベートジェットでオードリーと家族を送り返してもらったとか。危篤とも言える状態で、オードリーは自宅で死を迎えたかったそうで、そのあとまもなく亡くなっています。病に苦しんで亡くなったのがとても気の毒。グレゴリー・ペックは夫妻でその手術入院の際に何度かお見舞いしていたとか。

 

ユベール・ジャム・マルセル・タファン・ド・ジバンシィ伯爵

(Le comte Hubert James Marcel Taffin de Givenchy1927年2月20日2018年3月10日

1952年にジバンシィを設立。1970年にInternational Best Dressed Listに殿堂入りした

1927年2月20日オワーズ県ボーヴェプロテスタントの家に生まれる。父はLucien Taffin de Givenchy (ジバンシィ侯爵) (1888–1930)であり、母は元Béatrice ("Sissi") Badin (1888–1976)である。イタリアのベニスにルーツを持つタファン・ド・ジバンシィ家(元の名前はTaffini)は、1713年に貴族に列され、このときの家長がジバンシィ侯爵となった。兄はJean-Claude de Givenchy (1925–2009)であり、家の侯国を受け継ぎ、最終的にパルファムジバンシィの社長となった

1930年に父がインフルエンザにより死去した後は、母と母方の祖母に育てられた。母方の祖母はMarguerite Dieterle Badin (1853–1940)であり、Jules Badin (1843–1919) (歴史的なGobelins Manufactory及びBeauvais tapestry工場のオウナー及び工場長であった芸術家)の未亡人である。芸術的なBadinの家族には芸術的な職業に就く者が多かった。母方の曾祖父であるJules Dieterleはボーヴェ工場のデザインも行ったセットデザイナーであり、ここにはエリゼ宮の13点のデザインも含まれている。高祖父の1人はパリ・オペラ座のセットをデザインしている。17歳の時にパリに移り、エコール・デ・ボザールで学んだ。

1945年にジャック・ファットのために最初のデザインを行った。その後、Robert PiguetLucien Lelong (1946) のためにデザインを行い、当時まだ無名であったピエール・バルマンクリスチャン・ディオールと一緒に仕事を行った。1947年から1951年まで、アヴァンギャルドのデザイナーエルザ・スキャパレリのために仕事を行った

 

1952年、パリのPlaine Monceauに自身のデザインハウスをオープンした。後に自身の最初のコレクションを、当時のパリのトップモデルにちなみ"Bettina Graziani"と命名したジバンシィのスタイルはディオールの保守的なデザインとは対照的に革新的なものであった。25歳の時、先進的なパリのファッションシーンにおいて最年少のデザイナーであった。最初のコレクションは経済的な理由からかなり安い生地を使用していたのが特徴であったが、そのデザインが好奇心をかきたてた

後にジバンシィのファッションの最も有名な支持者となるオードリー・ヘプバーンジバンシィと初めて出会ったのは、1953年の『麗しのサブリナ』の撮影中であった。その後、ヘプバーンが『ティファニーで朝食を』で着用した黒いドレスをデザインした。また、ヘプバーンのために初の香水コレクション(L'InterditとLe de Givenchy)を開発したオードリー・ヘプバーンはその香水の顔となった。スターがフレグランスの広告キャンペーンの顔になったのはこれが初めてである

当時、ジバンシィは憧れの存在であったクリストバル・バレンシアガとも出会っているジバンシィオートクチュールの高尚な環境だけでなく、マンハッタンイースト・ヴィレッジにあるLimboという店のようなアヴァンギャルドな環境からもインスピレーションを得ていた

ジバンシィの著名なお客には以下のような人がいる。Donna Marella Agnelliローレン・バコールイングリッド・バーグマン、Countess Mona von Bismarck, Countess Cristiana Brandolini d'Adda, Sunny von Bülow, レナータ・テバルディ, マリア・カラス, キャプシーヌ, マレーネ・ディートリヒ, Daisy Fellowes, グレタ・ガルボ, Gloria Guinness, Dolores Guinness, Aimee de Heeren,  ベイビー・ジェーン・ホルツァー, グレース・ケリー,Princess Salimah Aga Khan, Rachel Lambert Mellon, ソフィア・ローレン, ジャンヌ・モロー, ジャクリーン・ケネディ・オナシス,Empress Farah Pahlavi, Babe Paley, リー・ラジヴィル, Comtesse Jacqueline de Ribes, Nona Hendryx, Baroness Pauline de Rothschild, フレデリカ・フォン・シュターデ, Baroness Gaby Van Zuylen van Nijevelt, ダイアナ・ヴリーランド, Betsey Cushing Roosevelt Whitney, Baroness Sylvia de Waldner, ウィンザー公爵夫人, Haitian first lady Michèle DuvalierJayne Wrightsman.

1954年ジバンシィプレタポルテがデビューした。1958年アイコンである「バルーンコート」と「ベビードール」ドレスを発表

1969年メンズラインを作成した。1976年のフォード・モーターリンカーン・コンチネンタル・マークIVクーペに始まり、1983年のリンカーン・マークVIと1987年のリンカーン・コンチネンタルセダンに至るまでコンチネンタル・マークシリーズ(1981年から1983年)やリンカーン・コンチネンタル(1982年から1987年)のジバンシィエディションを提供した。1982年から1984年にかけて、日産自動車と組んでローレル(4代目・C31型)の内外装に手を入れたジバンシィバージョンを3度にわたって発売した。

1988年、カリフォルニア州ビバリーヒルズのBeverly Wilshire Hotelで回顧展を開催したジバンシィのハウスは1981年に分かれ、香水ラインはヴーヴ・クリコになり、ファッション部門は1989年にLVMHに買収された。現在はLVMHはパルファム・ジバンシィも所有している

1995年にファッションデザインから引退したジョン・ガリアーノジバンシィのラベルを率いる後継者となったガリアーノが短期間務めた後は、アレキサンダー・マックイーンが5年間務め、ジュリアン・マクドナルドが2001年から2004年まで務め、2005年から2017年まではRiccardo Tisciが務め、ジバンシィの女性用プレタポルテオートクチュールが作られたClare Waight Kellerが現在のオートクチュール・メゾンのクリエイティブディレクターである

パリ近郊ウール=エ=ロワール県Romilly-sur-Aigreにあり歴史的建造物に指定されている城Château du Jonchetに居住して引退後は、17世紀から18世紀のブロンズや大理石の彫刻を収集することに専念していた。2010年7月、オックスフォード・ユニオンで講演を行った。2014年9月8日から14日のBiennale des Antiquairesの間に、Jean-Baptiste-Claude Odiotセーヴル焼ジャック=ルイ・ダヴィッドアンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンなどによる作品を集めた個人的な売買をクリスティーズで行った

2007年1月、フランス郵便局はジバンシィがデザインしたバレンタインデー用の切手を発行した。2014年10月、スペイン、マドリッドティッセン=ボルネミッサ美術館ジバンシィがデザインした95点の作品を集めた回顧展が開催された

長年のパートナーはファッションデザイナーのPhilippe Venetであった

2018年3月10日に上述パリ近郊ルネッサンス様式のシャトーに居住し、ヌイイ=シュル=セーヌで91歳で死去し、パリのパッシー墓地に埋葬された。

ご本人がモデルかと思うほどスタイリッシュですよね。身長は約2m。

フレッド・アステアと踊るシーンのために、ベールを後ろで結んであるのかしら。ベールは水玉だったんですね。オードリーはヘビースモーカーだったそうで、撮影の合間の写真は喫煙しているものがよくあります。でも歯は綺麗ですね。

「マイフェアレディ」の撮影の際にも、訪問していたのですね。

ヴィトンのバッグ、愛用されていますね。オードリーが約170cm、ジバンシーは約2m。二人一緒の写真は絵になりますね。

ヴィトンバッグの出番多いですね。

このスーツはBloodlineの中で飛行機から降りてくる時に着ていたものと同じみたいです。

ユベールの水玉のネクタイが珍しい。オードリーはBloodlineのイブニングドレスで。

オードリーのBloodlineの映画で着たドレスを右端のモデルが着ています。

このドレス膝上ですね。可愛いのも似合う。

この水玉とストライプのドレスとても似合っています。

ジバンシーに衣装を依頼した最後の映画の衣装で、ピアニストのシーンで着ていました。ジバンシーと一緒の時は、いつもいつも幸せそうなオードリーですね。

これは珍しくえ〜?と思うデザイン

これはウインザー公夫妻がニクソン大統領を訪問した際の、ホワイトハウスでの晩餐会で着られたジバンシーイブニングドレスだそうです。これが現在オークションに出ているそうです。ジャクリーン・ケネディエリゼ宮訪問の際に、ジバンシーイブニングドレスを着ています。米国から仮縫いのために、パリへ行ったのでしょうか。

ケネディ大統領訪問のレニエ大公とグレース王妃。このスーツがジバンシー

 

アカデミー賞を「ローマの休日」で受賞した時のこのドレスもユベールのものでした。

 

このピンクのワンピースとコートは別の絹で、どちらもとても高級な布地だと思います。コートの襟はテーラーカラーのようです。リボンの結び方もお洒落。

この2枚のブラックドレスは同じワンピースで、帽子とアクセサリーを変えているのかも。

映画「シャレード」の動画を見ていたら、確かに最初に以下のようにクレジットがあります。オードリーは既婚だったと思いますが、ミスなんですね。


ジバンシー回顧展の一部。

この3点は、オードリー・ヘプバーンのもの。ピンクのは2回目の結婚式で着用された服。

実際のピンクはどっちの色だったのかしら。着ている方が薄いピンクで素敵。

オードリーがプレミアや映画関係のイベントで着ていたジバンシーの服

こちらは現在のベルギー国王とダンス。


トランプ議員と

レーガン大統領と

グレゴリー・ペック

ショーン・コネリー

この斜めの切り替えのウールパンツがとてもスタイリッシュで素敵。着てみたい。

メロン財閥のランバート・メロン

ユベールとメロン夫人

ウインザー公とウォリス・シンプソン夫人

1番右の女性のドレスが気になります。


こちらのブログ様にもたくさん素敵な写真紹介されています。
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