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台湾の歴史

 

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この動画のコメント欄が良かった。高砂族という名前しか知りませんでしたが、アミ族ブヌン族タイヤル族、セデック族、色々あり、首狩族でもあったんですね。ビルマやフィリピンでも首狩族いたように思います。日本統治下で、運動会を襲って女子供まで殺して首狩した霧社事件というのは聞いたこともありませんでした。こんなことがあっても、列強から日本には植民地統治はできないと馬鹿にされないように、恨まず辛抱強く統治したんですね。

 

霧社事件(むしゃじけん) 1930年(昭和5年)、日本統治時代の台湾で起きた、原住民族セデック族による最大規模の抗日武装蜂起事件。 日本は1895年に日清戦争の結果として台湾を清から割譲され、以後は「日本領」として統治を進めた。その中で、山地の開発、道路や学校の建設、風習の改変などを進めた。 セデック族は山地で伝統的な生活をしていたが 狩猟の自由が奪われる(武器の所持制限) 首狩りや部族の儀式が禁止 重労働と日本語教育の強制 監視と差別的な扱い など、生活と誇りを大きく傷つけられていた。 1930年10月27日、霧社の学校で開催されていた運動会を襲撃。 参加していた日本人(警官、学校関係者、婦女子含む)を次々と襲い、134人が殺害 セデック族は伝統に従い、敵の首を狩るという儀式もあり、「首狩り事件」として衝撃を与えた。 日本は即座に武装鎮圧作戦を展開。 約2,000人の軍隊や警察を動員し、さらには航空機による空爆まで実施。 戦闘は約1か月にわたって続き、最終的に: セデック族の戦士約300人が死亡 一部は自決、一部は女子供まで巻き込まれる 頭目・モーナ・ルダオも自決 事件は日本統治下の台湾における最後で最大の原住民の反乱として記録され、以後、武力を伴う抵抗は見られなくなった。

 

二・二八事件

本省人(日本統治時代から台湾島に住んでいる福建系の移民と先住民の総称)

外省人(1945年10月以降、蒋介石の率いる国民革命軍と一緒にきた連中)人口比率(10%が外省人/90%は本省人外省人戦勝国(中華民国1912ー1949)という立場で乗り込んでいったため、戦後台湾の政治/経済/マスコミを支配した。警察も外省人が押さえてしまった。そこで事件がおきた。二・二八事件(February 28 incident)日本が去って2年後に発生(二・二八事件1947年2月27日、台北市で闇タバコの取り締まり中に- 取締官が女性(林江邁)に暴行を加えたことが、市民の怒りを買い、抗議デモへと発展した。中国国民党がタバコを専売許可制にしたため- 無許可で販売することが禁じられていた(中国本土ではタバコは自由販売が許されていた)台湾ではタバコに高い税金を課していた。しかし多くの台湾人は生計を立てるため- 勝手にタバコを仕入れて道端で密売していた。そこに外省人(Waishengren)の警察がやってきて 一斉検挙をおこなった。子連れの母親(林江邁)も捕まった。売上金と商品を全て没収され-殴られた。周囲にいた本省人(Native Taiwanese)たちが激怒し、警察を取り囲んでボコボコにした。台湾全土で外省人本省人の暴動がはじまった。外省人を見かけたら本省人が一斉に襲いかかりリンチする。本省人のなりすましを炙りだすため日本語を喋らせたり君が代を歌わせた(日本語が話せなければ外省人なのでボコボコにされる)当時、中国大陸の南京にいた蔣介石(Chiang Kai-shek)は激怒し- 大軍を導入した。蒋介石『台湾人はそこまで腐ったか。日本の犬か』ここから国民革命軍による台湾人の大殺戮が始まる(数万人が殺された)暴動に関わっていない人まで殺された(日本統治時代の官僚や教師たちも殺された)蒋介石『日本語エリートは消せ』二・二八事件(February 28 incident)の後、台湾では緘口令が敷かれ- 事件に関する情報は隠蔽された。

 

台湾で日本語を話す原住民 日本統治時代に日本語教育を受けて育った高齢者。 彼らの証言には、支配された記憶と同時に、日本語が日常の言語であり感情の言語だったという、複雑な感情が見られる。

アミ族の男性(90代):「日本語で初めて手紙を書いた。恋文も、日本語だった。」

ブヌン族の女性(80代):「家族では部族語で話したが、学校では全部日本語。先生は厳しかったけど、日本語は覚えてよかった。」

タイヤル族の元兵士:「大東亜戦争に志願して南方へ行った。戦友とも日本語で話した。命を懸けた言語だった。」 → 日本語が「自分の青春」「自己表現の言葉」として意識に残った。

彼らにとって日本語は「敵の言葉」ではなく、教育・思い出・社会とのつながる手段。 戦前・戦中に日本語で書かれた台湾文学 日本語教育を受けた人々による「日本語で書かれた文学作品」 作家たちは植民地的現実の中で、「日本語を使いながら台湾人としての意識を模索」 楊逵:『送行』(戦争に行く兄弟の葛藤を描いた短編) 呉濁流:『胡蝶の歌』など、日本語による繊細な心理描写で知られる。 彼らは日本語で書きながらも、「台湾人としての声」を発信していた。 戦後になって北京語(国語)が強制され、日本語を話すと怒られる時代に。 日本語は「母語として残ったけれど、公には使えなくなった言葉」に。 近年では、この世代の作家たちの作品が「喪われた言語文化」として再評価       

 

台湾(日本統治)      朝鮮(日本統治) 教育の導入 

比較的緩やか(小学校から) 当初から徹底的で中央集権的

日本語教育  最初は補助的、後に強制  早い段階で日本語一本化

母語  学校では禁止、家庭では容認 朝鮮語の使用自体が禁止・新聞廃止も

原住民は「指導すべき存在」(野蛮→文明化) 朝鮮人は「同化すべき日本人」

日本語が共通語・文化的財産としても残る    日本語は「民族抹殺の象徴」

台湾では日本語が「懐かしさ」 韓国では「屈辱」

台湾では、言語や文化がもともと断片的だったことに加えて、日本語が近代教育・共通語・階層移動のツールとして機能した。

 

李登輝 日本名は岩里政男 京大農学部中退  旧帝国軍人 中尉 名古屋の防空旅団に属する。終戦後 台湾に戻った。

馬英九 父は香港人 国民党が敗戦後父と一緒に台湾にやってきた。

蔡英文 パイワン族の名はTjuku 太陽の如くっていう意味合いがある。蔡英文の祖父は屏東県枋山郷楓港の漢民族客家系であり、祖母は獅子郷のパイワン族の末裔である。父は満州国で飛行機の修理の仕事をしていてその後南方作戦に参加し、終戦後台湾に戻った。

 

やりたい放題していたオランダに明が攻撃したことも知りませんでした。しかも明が台湾内部に上陸したこともなく、勝手に台湾はあげる、とオランダと約束した話も初耳でした。シラヤ族という部族もいたんですね。

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