「日本の歴史」別巻2より、目に止まった絵画や、出来事をご紹介します。全く初めて目にした絵もありました。
中尊寺金色堂の華鬘(けまん)
東大寺の金堂前にも似たお顔の灯篭がありますよね。
藤原秀衡のミイラだそうです。
男衾三郎絵詞より
この絵は、戦いの場面なのに、可愛らしい顔ばかりだし、マンガチックです。
一遍聖絵より
三島神社に詣でる一遍
石山寺縁起絵巻より
蒙古襲来絵詞より
少弐景資の陣 博多湾に上陸した蒙古軍との戦闘を前に、博多の住吉神社ほど近くに陣を固めた景資29歳、率いる手勢五百騎。
なんとなく少女漫画家が描いたような絵です。
蒙古襲来絵詞より
右から二人めの足の下に、顔を覗かせている侍がいます。
考古襲来絵詞
見辛いのですが、どの顔も可愛いんです。
山王霊験記より
紀伊国阿氏河荘上村の百姓の訴状
三島水軍の旗
三島水軍は瀬戸内海を主な舞台としたが、倭寇活躍の背景には、源平合戦以来しばしば戦史を飾った北九州、瀬戸内海、熊野などの武士団が形成した水軍の伝統があった。
室町時代 高機を使う民間機屋
祭礼草紙
神社の祭礼の折などに、風流(ふりゅう)と呼ばれる飾り物を作って、練り歩くことが流行した。風流とは元来衣服や車につける飾りの花のことだったが、室町時代になると、趣向を凝らした一種の仮装行列になった。
1番左のお供えものに乗っているお人形?は何を指差しているのでしょう。
右から3つめのお供え物の布、十字のチェックのように見えますね。
十二ヶ月風俗図帳より
西行物語絵巻より
左のお転婆娘が可愛い。
法然上人絵伝より
笹に手綱をつけて馬になぞらえて駆けている少年達。この遊びを竹馬と呼んでいたとか。
死骸を飢えた馬や犬が食べるという悲惨な一面も。
風俗図屏風
鍋の蓋のような物を持って、防御しているのが面白い雪合戦。
三頭身ですね。
高雄観楓図屏風
天正三年、三河に進出した武田の騎馬隊が、織田・徳川軍の鉄砲によって壊滅した屏風絵。
従軍画家がいたのでしょうか?記録とデモンストレーションのための屏風なのでしょうね。
ザビエル像
この草書体のサインは、人名でしょうか?
四国都市屏風
キリシタン遺物の八曲片双屏風。リスボン、マドリード、ローマ、コンスタンチノープルの四都市が描かれている。これはリスボン。
西洋王侯騎馬図
四曲片双 伝山田右衛門作 1592年(文禄元年)?166cmx458cm
神戸市立南蛮美術館蔵
九州三侯の遣欧使節の帰国後、イエズス会の神学校で作られたもの。当時、西欧諸侯と異教徒との対戦を描いた絵を日本人に見せると、布教に甚だ有効と考えられていたそう。
日本人が描いた絵だそうです!
マリア十五玄義図
キリシタン大名高山右近の旧領摂津高槻で、昭和初年に発見された。原画を日本の絵師が模写したもの。下にロヨラとザビエルが描かれ、周囲には受胎告知に始まるキリストの伝記が十五の場面に綴られている。
天正十年(1582)から八年に渡って西欧諸国を歴訪し、ローマ教皇にも謁見した少年使節団は、至るところで歓迎を受けた。案内のメスキータ神父を囲む四人の肖像で、右上正使、伊東マンショ。1586年ドイツのアウグスブルグで刊行された。
大道寺創建裁許状
「周防国吉敷郡山口県大道寺事、従西域来朝之僧、為仏法紹隆可創建彼寺家之由、任請望之旨、所令裁許之状如件、天文二十一年八月二十八日周防解御判 当寺住職」と書かれ、ポルトガル語の翻訳をつけたこの文書は、大内義長が宣教師トルレスに与えた教会建立の許可状案の写しである。このような南蛮寺は、のち京都にも作られるが、秀吉の禁令によって破却される。
以上写真は「日本の歴史」別巻2より