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邪気から自分を防御する方法

美輪明宏さんの動画を見ました。エネルギーバンパイヤから身を守る方法ですね。スピリチュアルとは少し違うジャンルの方ですが、内容は、スピリチュアルとほぼ同じ。備忘録に置いておきます。

目には見えないけれど、人と会話していると(していなくても)、波動をやりとりしている。何を話しているかは関係なく、その人の気を交換している。そこで、相手の怒り、悲しみ、不満、愚痴などをスポンジのように吸い取ってしまうタイプの優しい人が、本人が悪くないのに相手にエネルギーを吸い取られてしまう状態。それをどう防御したら良いのかという講義です。

会話して別れた後、ドッと疲れていたら、相手に気を吸い取られた証拠。相手が吸い取る気満々の場合、それがエネルギーバンパイヤなのです。人の痛みを感じ取れる、思いやりのある人、優しい人が被害者になります。優しいのはいいことですが、優しさが未熟な段階にあるから、疲れてしまうのだと説明されています。

優しさが未熟だと、相手の闇をそのまま吸い込んでしまう。未熟な優しさとは、相手と自分の境界を持たない優しさを言います。可哀想、と思う気持ちが強すぎて、相手の感情と自分の感情を混ぜてしまう。すると相手の哀しみや怒りが、自分の中でも再生されてしまう。

本当に成熟した優しさとは、理解しながらも、巻き込まれない。ということ。嵐の海を前にして、波にのまれてしまう人と、波の動きを観察する人とでは、同じ海でも見え方が違う。あなたは今、相手の感情という「波」を、間近で見ているだけ。その波に手を伸ばして巻き込まれないことが大切なのです。巻き込まれないためには、「反応」ではなく「観察」の心を持つこと。

相手が怒っている時に、「どうしてそんなことを言うの?」と反応する代わりに、「この人は内側の不安と戦っているのね。」と観察すること。その意識の違いが、あなたの波動を守る盾になるのです。人の悪い気は、あなたを傷つけるために存在するのではありません。それは相手がまだ自分の中の闇と向かい合えていないサイン。だからあなたまで、闇に落ちる必要はないのです。光の側に立ち、静かに見つめるだけでいいのです。それが自分を守る最初の習慣です。

「未熟な優しさ」は闇を吸い込み、「反応しない沈黙」は結界となるという洞察は、現代を生きる私たちの魂の護り方を示しています。他者の波に飲まれるのではなく、3秒の静寂で中心に戻り、光の側で佇む。この習慣こそが、混沌とした世界で「魂の清らかさ」を保つ究極の作法。

 

心に結界を張る5つの習慣

私たちは毎日様々な気に包まれて生きています。ニュース、誰かの言葉、それらはあなたの心を揺らしているのです。そんな世界の中で、自分の気を澄ませ、静かに美しく生きるには。答えは5つのエネルギーの中にあります。

人の魂を整える5つの柱。静ー動じない心、和ー調和の心、清ー澄んだ心、柔ー優しさの心、光ー輝く心。これを毎日意識していれば、悪い気に巻き込まれません。なぜなら、光は闇と戦わない。ただ静かに照らすだけだから。この5つのエネルギーをどう日々で育てるか。気の流れが変わる瞬間に気がつくはずです。

1)反応しない習慣

悪い気は、あなたの反応を糧に生きています。怒りも否定も同情も、どんな感情の動きであっても、エネルギーの交換なのです。ですから相手のネガティブな波に反応した瞬間、あなたの中の静けさは乱れ、心の湖面がざわめきます。けれどその瞬間こそが、試されているのです。何か言われたとき、胸がチクリと傷んだとき、すぐに言い返したり、慌てて動いたりせずに、まず3秒の沈黙を置くのです。そのわずかな間に、そっと呼吸を整え、自分の中心に戻ります。すると不思議なことに、あなたの周りに漂っていた悪い気が、スッと遠ざかっていくのです。「沈黙は最高の浄化なのです。」言葉で戦わず、沈黙で守る。それは逃げではなく、品格のある防御です。怒りをぶつけるよりも、黙って微笑む方が、はるかに強い波動の勝利です。あなたが静かにしていると、相手の荒れたエネルギーは、やがて相手に跳ね返っていきます。つまり反応しない、とは、自分のエネルギーを渡さない、ということ。気高く美しく生きるための最初のレッスンです。

2)「自分の中心」を毎日整える習慣

どんなに周囲が騒がしくても、どんなに人の気が乱れていても、自分の内側に一本の柱がしっかりと立っていれば、そう簡単には揺らされないのです。嵐の中でも、深く根を張った樹は倒れない。人の心も同じこと。日々、自分の中心を整えることが、その「根」を育てる行いなのです。そのために1番大事なのが、朝の小さな儀式です。例えば鏡の前で、静かに微笑んでみる。寝起きの顔で構いません。「今日もよく生きているわね。ありがとう。」そう自分に声をかけるだけで、心の空気が変わります。

次に感謝の言葉を一つ思い出します。昨日のお茶でも今日の青空でもいいのです。小さな「ありがとう」は、心の埃を祓う祈りのようなもの。その一瞬、あなたの中の気が澄んで、光を取り戻していきます。「自分の中に太陽を持っている人は、闇に染まらない。」どんなに暗い出来事が起きても、自分の中の太陽を信じていれば、他人の悪い気など、ただの通り風のように通りすぎていきます。光は闇と戦わなくても、ただ在るだけで勝つのです。だから朝のわずかな時間で良いの。呼吸を整え、心に微笑みを灯す。その小さな習慣こそが、あなたの1日を守るおまじないとなり、誰の言葉にも、誰の気にも惑わされない自分を育てていくのです。やがてそれは強さではなく、穏やかな威厳となって現れます。あなたが整っているだけで、まわりの空気まで優しく澄んでいくの。それが本当の意味での「美しい気」というものです。

3)1日の終わりに気をリセットする習慣

1日の終わりの浄化です。人は、気づかぬうちに、たくさんの気をまとって帰宅するものです。職場の空気、電車の中のざわめき、コンビニで交わした一言、それらは全て目に見えない波として、少しずつ心に積もっていくのです。そのまま家まで持ち帰ると、せっかくの安らぎの空間まで重たくなってしまいます。ですから帰宅したら、「気」をリセットする時間を作ること。浴槽にお湯を張って、ゆっくり深呼吸しましょう。音楽を流すのもよし、好きな香を灯すのも素敵です。お湯の中で、「今日もよく頑張ったわね。」と自分を抱きしめてあげる。それだけで、身体も心もふっとやわらぐのです。もし1日の中で、何か引っ掛かる出来事があったなら、その思いを紙に書き出し、静かに破ってしまいましょう。それは忘れるためではなく、手放すための行為です。人の言葉や不快な感情を抱えたまま眠ってしまうと、その重たさがあなたの夢にまで入り込み、あなたの魂を曇らせてしまいます。

「浄化とは、忘れることではなく、許すこと。」心の埃を落とすとは、過去を消し去ることではなく、「もうこの気持ちに縛られなくてもいいのよ」とそっと自分を解放すること。それが本当の意味での許しです。そして静かな夜。柔らかな灯の中、香りに包まれながら目を閉じて、こうつぶやいてください。「私は今日も、光の側で生きました。ありがとう。」その一言が、あなたの心を再び透明にしてくれます。やがてその清らかな気が、翌朝のあなたを包み、1日を穏やかに始めるための光の衣となるのです。夜は眠るための時間ではなく、「生まれ変わる」ための時間。どうぞあなたの心を優しく洗い流して、新しい光を迎える準備をなさってください。

4)「受け流す」優雅さを身につける習慣

人間関係とは水のように流れているものです。けれど多くの方が、流れの途中で石のように固まってしまう。誰かの言葉に引っ掛かり、心の中に棘を残してしまう。でも本来心というのは、もっと柔らかくもっとしなやかで良いのです。「悪い気」というのは、戦えば戦うほど、あなたの中で強くなるもの。押し返そうとすればするほど、同じ波長に同調してしまいます。でもね、風のように受け流せば、何も残らないのです。風は誰とも争わず、ただ通りぬけていくでしょう。それが本当の意味での柔らかい強さなのです。例えば意地悪な言葉をかけられたとき。「そう感じる方もいらっしゃるのね。」と心の中で静かに微笑むだけで良いのです。反論も否定もいりません。波を立てず静かに、やさしく、通りぬける風のように。あなたが動じなければ、相手の波もやがて消えていきます。「風は壁を壊さず、ただ通りぬけるだけ」受け流すというのは、あきらめではなく、優雅な防御でございます。怒りに反応せず、同情に巻き込まれず、ただそういう気もあるのね」と受け止め、そして流す。それが柔の心。柔らかく在ることは、弱さではありません。むしろどんな強風にも折れない柳のように、しなやかでいるからこそ、最後に残るのです。優雅さとは、強さの最終形。あなたが柔らかであればあるほど、悪い気はあなたに触れることさえできません。どうぞ戦うよりも、受け流す生き方を選んでください。その瞬間から、あなたの周りの空気は静まり、世界はあなたに微笑み返してくれるはずです。

5)祈りの時間を持つ習慣

これは宗教的な祈りではなく、心の清めのための祈りです。夜の静けさの中で目を閉じて、「今日私と出会った全ての人が穏やかでありますように」とそっとつぶやいてください。それは他人を救うためではなく、自分の心を平和にする祈りです。「祈りは最も静かなエネルギー交換」誰かの悪い気を祈りで包みこむと、不思議なことに、あなたの心も軽くなります。怒りも悲しみも、やがて祝福に変わっていきます。祈りを重ねているうちに、あなたは反応する人ではなくて、照らす人になっていきます。

光は闇と戦わず、ただそこに在るだけ。その静けさこそ、本当の強さです。守ることから始まり、やがて照らす人になるのです。悪い気のある世界に生きていても、自分の心が整っていれば、どんな闇もあなたを飲み込むことはできません。反応せず、中心を持ち、そして夜に浄化する。この5つの習慣が、あなたの見えない結界を強く美しく輝かせるのです。

悪い気を持つ人をどう見るか

この世界には、さまざまな気が交差しています。光のように暖かい気、冷たく重い気もある。その悪い気を放っている人にも出逢います。でも忘れてはいけません。彼らもまた傷ついた魂なのです。痛みのエネルギーが悪い気となって漂っているのです。だからといって、あなたがその闇に引き込まれる必要はありません。なぜなら否定すればあなたも同じ波動に落ちるからです。どうしてあんな人がいるの。もう関わりたくない。そう思えば思うほど、心は相手と同じレベルの闇を映し出してしまう。闇を憎めば、あなたも闇の色になる。この言葉には深い慈悲があるのです。

人の闇を責めるのではなく、ああこの人は、今霧の中を歩いているのだと思えば良いのです。霧はいつか晴れます。でもその人自身が歩き続けなければ、光の方へは辿り着けないのです。ですからあなたにできるのは、理解と距離のバランスを取ること。必要以上に関わらない。でも冷たく突き放さない。見守るように、静かに距離を保つのです。無理に助けようとすれば、あなたの光まで曇ってしまいます。けれど心の中で、「どうかこの人が自分の光を思い出せますように。」と祈る。それだけで十分なのです。闇の中で迷っている人を救うのは言葉ではなく、あなたの光。正しいことを説くよりも、あなた自身が整って、美しく輝くこと。その姿こそが、迷っている人への一番の導きになるのです。ですから誰かの悪い気に出会ったときこそ、自分を責めず、相手を裁かず、まずは自分の心を整えることです。それが世界への一番静かな祈りであり、優しさなのです。あなたの光が強ければ、闇は自然と道をあけるのです。光は戦わずして勝つ。それが宇宙の法則なのです。

光は闇と戦わない。ただ照らすだけ。

闇は敵ではありません。光を際立たせるために、この世に存在している影のようなもの。私たちは、悪い気を感じると、負けてはいけない。跳ね返さなければ、と身構えてしまいますが、本当の光とは、戦わずとも勝つのです。なぜなら光が十分に強ければ、闇はただ消えていくだけだから。勝つ必要も、説得する必要もありません。あなたが穏やかで、美しい波動のままに佇んでいれば、闇は居心地を失い、自ら去っていきます。悪い気に勝とうとするのではなく、流していくのです。

世界はあなたの心の色で、見え方が変わります。今日あなたの心が曇っていると感じたら、無理に晴らそうとせず、ただ静かに受け止めてください。光はいつもあなたの内にあるのですから。そして誰かの悪い気に怯えるのではなく、自分の美しい気を育ててまいりましょう。花が他の花と競わず、ただ自分の色で咲くように。あなたが自分の光を整えれば、この世界の気は、必ず澄んでいきます。あなたの心の中に、永遠の光があるのだから。

 

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浄化とは「解放」である

着ない古着 、古い靴・壊れたバッグ

縁が切れた人からの贈り物・悲しい思い出の品

割れた鏡・壊れた物、壊れた時計

古い書類・レシート・手紙

捨てた後の浄化儀式

捨てる時に、ありがとう、と感謝する。窓を大きく開けて、この家を光で満たしてください、とそっと呟く。

 

良縁とは感謝と優しさで結ばれた糸。一緒にいると心が穏やかになり、自然と笑顔が溢れて、沈黙すら暖かく感じられる相手。

本当にあなたを大切に思う縁は、あなたの光を消さず、むしろ輝かせてくれる。互いに自由で、尊重し合える。それが良縁の証拠。

悪縁とはあなたの波動を曇らせる相手、良縁とはあなたの魂を澄ませてくれる縁。この違いを見抜くことが、人生を美しく生きる一歩。

 

我慢とは自分を苦しめる自己欺瞞

言葉は刃にも薬にもなる。悪意がなくても毒を飲み続ければ心は枯れる。

優しさと迎合は違う。心はいつもサインを送っている。例えば楽しく過ごしても帰り道でため息が出る。次に会うのが少し怖いと感じる。それは心の警告。

他人を下げることで自分を保つ人。誰かの悪口を冗談に変える人。

調和でなく束縛になる関係。

悪縁は戦う必要も怨む必要もありません。ただ静かに距離を置き、心の中で、「ありがとう。でもここまでですの。」とつぶやくだけで良いのです。それが最も上品で美しい縁の終わらせ方です。

縁を切るー戦いではなく解放であり、自分の魂を取り戻す自由にする、魂の儀式。心が静かになればなるほど、本当に必要な人がやってくる。「私はもうこの苦しみを選ばない。」そう静かに宣言することが、魂の再生の始まりです。縁を切るとは、争いではなく祈りです。

 

愛とは奪うものでも、所有するものでもなく、ただ相手が幸せであってほしい、と祈る静かな力。その祈りがある場所に、悪縁は近づけないのです。

人の痛みを見てかわいそう、と憐れむのではなく、どうか楽になりますように、と願う。

執着、比較、承認要求、を手放すと、心が清らかになります。

縁とは運命ではなく、選択です。どんな人と関わり、どんな言葉を交わすか、それを決めるのは、自分の心なのです。

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