好きなもの、心惹かれるもの

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子供達の学校

天は自ら助く者を助く。家族の中で、私だけが東京のキリスト教の女子校を出ていて、創立者も米国大大学院を出ているせいか、留学に抵抗はありませんでした。

学生ビザは最初息子はインターナショナルスクール、娘は聖心女学院で取っていました。それぞれが、そこがいいと決めたからです。ところが、1年分の学費だと思って渡航前に先払いしたものが、なんと!一学期分であることが判明。4倍になると、あまりの高額さにたまげたので、公立小学校へ二人とも転校させました。親が大学生だと、子供の公立学校の学費は無料でした。豪州の学校は4学期制です。大学は2学期制。

その手続に教育省へ行った時のこと。男性職員にビザの番号がどーたらこーたら、と言われたのですが、意味がさっぱりわからないし、何がダメだと言っているのかわからない。私学と公立校で、ビザの番号が違うと言われた気がするけど、だからなんなの?ということがわからない。離婚して1か月も経っていない。まだ生活にも全てに慣れていない時。突発的に私はブワ〜っと号泣しました。おそらく一生であれだけ絶望的に泣いたのは初めてのこと。涙と嗚咽が止まりませんでした。

すると奥の個室から、女性の上司が飛び出してきて、「あなたはこの女性に何をしたのか!」と詰問したのです。彼女は私にティッシュや水を差し出して慰めてくれました。ひっくひっくしゃくりあげる私の前で、やたら大人しくなった男性職員はさっさと手続を終えたので、別に何か私に問題があったわけではなかったようです。いまだによくわかりません。

豪州は、英国でパンをかっぱらったような軽犯罪の人を送り込んで開発した国で、女性が少なかったため、女性を大事にする伝統があるのだとか。

息子は11歳から入れるという、移民用の学校へ。11歳から18歳までの移民が、年齢に関わらず英語のレベルで、クラスが分けられます。そこで半年弱、英語で文章が書けるようになった頃、地元の6年制の中学高校へ移りました。この学校で、南極探検船しらせの艦長の息子さんと同じクラスになったのはラッキーなことでした。しらせはシドニーが最終港なのです。「お寿司が出るからおいで。」と言われて、親子でしらせに乗せていただきました。

この移民の学校で発表会があって、インドの女の子の民族舞踊がとても優雅で素敵でした。衣装も素敵でしたし、舞踊もエスニックで容貌と相まって、独特の雰囲気がありました。

娘はバイオリンとお絵描きは得意だったので、それなりに授業について行ってたようです。ちなみに娘の算数の宿題、私にはよくわかりませんでした。幸いにも、香港人の同級生が、毎日娘を徒歩で送り届けてくれて、宿題も彼女たちがやってくれてたらしいです。娘が言うには、後でググったら、その香港人の同級生は、有名なゴルファーになってたそうです。子供の誘拐事件があるらしく、通常は親が毎日校門あたりまで迎えに来ていました。

娘がやりたいという絵を習わせ、バイオリンはロシア人のバイオリニストで地元オーケストラのコンサートマスターに教えてもらえることになり、本当に恵まれていたと思います。シドニー音楽院の試験も受けに行き、Aをもらったので、音楽院へ転校もできたようですが、娘はもうバイオリンはやりたくないと言ったので、趣味だけにしました。

息子は、日本で小学校1年から自分がやりたいと言い出して公文に通っていて、二学年先の数学を自習でやっていました。シドニー大学生で、日本語、韓国語、中国語ができる学生さんが公文でバイトをしていて教えてもらって、彼が卒業してできなくなってからは、豪州人と結婚されて定住されている日本人の先生が見つかり、英国大で天文学の博士号を取ったというレベルの方に、数学を日本語で習うという幸運にも恵まれました。音楽と数学は、英語ができなくてもわかるのが良かったですね。数学とギリシャ語でトップを取ったので、肝心の英語はあまりできませんでしたが、友達もできて、息子はそれなりに楽しくやってたようです。

中1の4学期で、イタリア語、フランス語、ギリシャ語、日本語をそれぞれ少しずつ学び、中2から自分で選択した言語を選びます。息子は数学で出てきて馴染みがあるギリシャ語にしたのです。移民の国なので、親は自分の祖国の言葉を子供や孫に習わせたいのです。でも息子はそういう子たちを差し置いて、トップになったので、先生が喜んでいました。

日本の夏休みだったか、冬休みだったか覚えていませんが、私は子供達を日本に毎年一時帰国した際に、公立小学校の授業に行かせていました。子供達は、豪州の学校が休みだから帰国してるのに、ゲームとかやりたいのに、日本の学校へ行かされたことにぶつぶつは言ってました。今思えば、自由にさせたら良かったと思います。教育ママも度がすぎるとうざいですね。本人たちが嫌だったなら、行かせなくて良かった。

ただ、息子は大丈夫でしたが、娘は漢字はかなり忘れていました。態度を熊度と書いて平然としてました。8歳で移民するのがボーダーで、8歳以下なら完全バイリンガルになれる、とソニーの井深氏が書いていたような。娘はちょうど8歳、息子は11歳でした。但し、家の中では日本語だから、二人ともベースは日本語脳です。日本語脳とは、虫の声が音楽に聞こえるような、日本人特有の脳なんだそうです。