隋から渡ってきた菩薩像といっても、どこのお寺から出たものなのでしょうか?遣隋使が持ち帰ったのでしょうか?明治の廃仏毀釈で売り飛ばされた菩薩像なのでしょうか?
トーハクのHPには後ろ姿も光背の後ろも写真があります。
山東省青州から出土した菩薩像と表情が似ている気がします。小澤正人氏のレポート「青州出土 一光三尊像菩薩像の変遷とその背景」に、青州の可愛らしい菩薩像の写真が沢山取り上げられています。p95の5番 B384号右脇侍菩薩とこの勢至菩薩が似ていると思いました。
https://www.seijo.ac.jp/pdf/fasiv/4-2/ozawa.pdf
童顔で小ぶりの頭部には,勢至菩薩の標幟である水瓶をつけた大きく華やかな宝冠を戴く。胴が引き締まり,すらりと直立した体躯は,下腹を若干前へ出し,胸飾・瓔珞・腕釧でにぎやかに飾られる。大ぶりの宝珠形光背には,唐草文と七躯の化仏を配す。像容は,米・ボストン美術館所蔵の同開皇13年銘阿弥陀諸尊像などと近い。静岡・MOA美術館には本像と一対と思われる観音菩薩立像が所蔵されている。
MOA美術館蔵の観音菩薩 35.8cm
細身の体躯に重々しい瓔珞(ようらく)をつけた菩薩形の立像で、細かい細工を施した宝冠の中央に化仏(けぶつ)(如来(にょらい)坐像)をつけるところから観音菩薩であると考えられる。宝冠は中国六朝時代以降によく見られる三面頭飾の発展した形のもので、耳の上に大きな花文が見える。右手は肩まで上げて宝珠を捧げ、左手はまっすぐ下げて天衣(てんね)の端をとる。瓔珞は太く、腰裳を飾る装飾とともに細身の体躯を華麗に縁取っている。両肩には大きい宝珠がつけられ、その下を流れるように下がった垂髪は、腕の両脇で二つの蕨手を形作っている。この像で最も目を引くのは宝珠形をした美しい光背で、中央の透かし彫りの部分には複雑な唐草文様の上に七仏を配し、外周には火炎光がめぐらされている。少し反り身にした体躯や左右相称の形に六朝仏の様式が残るが、穏やかで丸みを帯びた相好と自然に垂下した天衣の表現から見て、隋時代の典型的作例といってよい。