法隆寺のサイトから拡大写真で比較してみます。上から2枚の左右脇侍菩薩が法隆寺のサイトのものです。冠の形は、完全には明確にはわかりません。影になってしまうのですね。左右の仏像の衣と冠は、同じだと思われます。光背も非常に凝っていますね。
以下のように、法隆寺に関係する中で、とても似ている仏像が四体あります。釈迦三尊像の作者が司馬鞍作部首止利仏師だということは確からしく、残りの三体もおそらく鞍作止利の作でしょう。止利は、有名な厨子も作っていましたね。
この三日月と宝珠をデフォルメして、小さな三日月と宝珠にしているのではないかと思うのです。
冠の1番上、三日月と宝珠のようです
こちらも元は金だったのだと思われます
不思議なことに、写真によって随分表情が違って見えます。
法隆寺 菩薩立像
法隆寺献納四十八体金銅仏 N-155号
蕨手と言われるものが両肩についています。
ネットで初めて見つけた、西安の三日月と宝珠のついた菩薩像二体です。
菩薩像 隋代 1987年西安市蓮湖区唐冷泉寺遺跡出土 西安博物院所蔵
N様が、西安市の菩薩像胸像の斜め写真を掲載されていました。
高さ92cm
菩薩頭 北周557-581 大唐西市出土 大唐西市博物館蔵
驚くことに、この菩薩像(上半身のみと頭のみ)の冠にも三日月と宝珠が付いています。
隋なら小林惠子説では、聖徳太子が突厥 達頭可汗だった頃から倭国に定着した頃です。小林先生は、聖徳太子は父欽明天皇、母鮮卑で奈良にて550年生まれと推定されています。
「せいあん!」様より写真を拝借しました。
玉虫厨子