1991年李世民の5女である長楽公主の墓が発掘されて公開されていたそうな。李世民に最も愛された公主という記録があるらしく、立派な墓なのに、何度も盗掘されていて、棺がなく、足と頭蓋骨は見当たらなかった。どうやら盗賊に松明代わりに燃やされたのではないかと専門家の推測だそうです。


西壁 雲中馬車図





北壁

インドネシアやマレーシアから連れてこられた黒い肌の奴婢を持つことが唐時代貴族の自慢だったなんて初めて知りました。

色黒で、T型の杖を持っているのが黒人崑崙の奴婢なのだそう。








西欧風の硯ですね。

唐代皇帝一家は書道愛好家が多かったのだそうです。


王家の谷ならぬ王家の山々。しかしサイズが大きいですね。


太宗の書

彼女の名前は李礼智。621年生まれ。李世民と長孫皇后の娘。8歳の時に3000戸の領地を与えられた。書と画に優れていたとか。13歳の時に従兄弟長孫祟と結婚。643年23歳で重病で急死した。呼吸系の病気だったと推定されている。李寿の墓と形態が似ているとか。
しかし夫と合葬されていない。専門家は武則天が長孫家を粛清したため、合葬されなかったと推測している。長楽公主の死後10年で、夫と一族は悲劇に見舞われている。


