李白の出自について、wikiを見てみました。英語のLi Baiと日本語の李白の記述は微妙に違うんですね。私は英語版の方を採用したいです。
スイヤーブという地名が出てきますが、これは小林惠子先生によると、突厥族が本拠地とした地ですね。皇帝のご落胤説、不可能ではないと思います。
Background and birth
Li Bai is generally considered to have been born in 701, in Suyab (碎葉) of ancient Chinese Central Asia (present-day Kyrgyzstan), where his family had prospered in business at the frontier. Afterwards, the family under the leadership of his father, Li Ke (李客), moved to Jiangyou (江油), near modern Chengdu, in Sichuan, when the youngster was about five years old. There is some mystery or uncertainty about the circumstances of the family's relocations, due to a lack of legal authorization which would have generally been required to move out of the border regions, especially if one's family had been assigned or exiled there.
李白は一般的に、701年に古代中国中央アジア(現在のキルギス)のスイヤブ(碎葉)で生まれたと考えられている[10]。 [11]その後、父親の李客に率いられた一家は、彼が5歳くらいのときに四川省の江油(現在の成都近郊)に移り住んだ。家族が国境地帯に配属されたり、追放されたりしていた場合、国境地帯から引っ越すのに必要な法的認可がなかったためである。
Two accounts given by contemporaries Li Yangbing (a family relative) and Fan Chuanzheng state that Li's family was originally from what is now southwestern Jingning County, Gansu. Li's ancestry is traditionally traced back to Li Gao, the noble founder of the state of Western Liang.This provides some support for Li's own claim to be related to the Li dynastic royal family of the Tang dynasty: the Tang emperors also claimed descent from the Li rulers of West Liang. This family was known as the Longxi Li lineage (隴西李氏). Evidence suggests that during the Sui dynasty, Li's own ancestors, at that time for some reason classified socially as commoners, were forced into a form of exile from their original home (in what is now Gansu) to some location or locations further west. During their exile in the far west, the Li family lived in the ancient Silk Road city of Suiye (Suyab, now an archeological site in present-day Kyrgyzstan), and perhaps also in Tiaozhi (simplified Chinese: 条枝; traditional Chinese: 條枝; pinyin: Tiáozhī), a state near modern Ghazni, Afghanistan.These areas were on the ancient Silk Road, and the Li family were likely merchants.Their business was quite prosperous.
同時代の李陽冰(一族の親戚)と范傳正による2つの記述によると、李の一族はもともと現在の甘粛省精寧県南西部の出身であった。李の先祖は、伝統的に西梁の高貴な建国者である李高に遡る。このことは、李自身が唐の李王朝の王族と関係があると主張していることの裏付けとなる。
この一族は隴西李氏として知られていた。その証拠に、隋の時代、李氏朝鮮の先祖は、当時何らかの理由で社会的に平民に分類され、本来の故郷(現在の甘粛省)からさらに西のある場所への流刑を余儀なくされました。西の果てに追放されていた間、李一族は古代シルクロードの都市であった碎葉(スイヤーブ、現在は現在のキルギスの考古学的遺跡)に住み、またおそらく現在のアフガニスタンのガズニに近い州である沂志(簡体字:条枝、繁体字:條枝、ピンイン:Tiáozhī)にも住んでいた。これらの地域は古代のシルクロードにあり、李一族は商人であった可能性が高い。

李 白(り はく、拼音: 、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))は、中国の盛唐の時代の詩人である。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に『詩仙』と称される。
李白の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明である。『旧唐書』本伝の記述では東魯の出身とするが、清の王琦などをはじめ、通説はこれを誤りとする。
李陽冰の「草堂集序」および范伝正の「唐左拾遺翰林学士 李公新墓碑」、さらにこれらを踏まえたとされる北宋の欧陽脩『新唐書』などの記述では、李白は隴西郡成紀県(現在の甘粛省天水市秦安県)の人で、西涼の太祖武昭王李暠の九世孫とする。李白の先祖は、隋末の時代、何らかの事情で西域の東トルキスタンのあたりに追放され、姓を変えてその地で暮らしていたが、中宗の神龍年間、西域から蜀(現在の四川省)に移住し、李白の誕生とともに李姓に復したという。
李白の祖先の暮らしていた西域の地について、「草堂集序」には「中葉罪に非ずして、條支に謫居す」、『新唐書』では「罪を以て西域に徙(うつ)る」とある。「條支」とはこの場合、唐代に置かれた条支都督府を指すと考えられており、現代の地名ではアフガニスタンのガズニ周辺に当たる。また「唐左拾遺翰林学士 李公新墓碑」では碎葉(現・キルギス共和国のトクマク付近)としている。こうしたことから、20世紀になると、胡懷琛、陳寅恪、劉學銚(中国文化大学)などが李白を西域の非漢人の出自とする新説を出した。
現在の中国における通説では、李白は西域に移住した漢人の家に生まれ、幼少の頃、裕福な商人であった父について、西域から蜀の綿州昌隆県青蓮郷(現在の四川省綿陽市江油市青蓮鎮)に移住したと推測する。いずれにしても、遅くとも5歳の頃には蜀の地に住み着いていたと考えられている。