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突厥 ショローン・ボンバガル古墳

Ancient Turkish govenor in Shoroon Bumbagar tomb, Ulaan Kherem remains, Bulgan Bayannuur village, Mongolia

モンゴル ボルガン県バヤンノル村オラ―ンヘレム遺跡のショローン・ボンバガル古墳 

僕固 乙突の墓

It was first time to be discovered the tomb with murals in Monglia. Professor Ushio Higashi's report is great job with lots of illustrations, he compared with another royal family's tombs during Tang dynasty in China. The paper is under below. Please click the file.

https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/106011

壁画がある古墳が発見されたのはモンゴルでは初めてのこと。古墳は長さ42m、幅1.8m、深さ8m。5km先のよく知られた遼(916-1125)のtomb of Yelü Pugu耶律蒲骨の墓や、唐時代の墓、ソグディアナの墓と一緒に研究されている、と書いてあるサイトがありました。徳島大学機関レポジトリ 東 潮名誉教授の論文が、1番図説が詳しくてわかりやすく唐の他の古墳と比較対象されています。

 2009年モンゴルロシアチームが、2011年モンゴルとカザフスタン連合チームがショローン・ボンバガル壁画古墳を発掘した。ウランバートルの西180kmのあたり。とあるので、もしかすると、2回発掘が行われ、2箇所あるのかもしれません。これでしょうか?

 

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Regarding the buriale, there was a more detailed paper by professor Hirosetsu Suzuki in Oosaka University Archive under below. The buriale was born in 635, died 678. He was the chief governor of Turkish nomads folks with 9 surnames pople under Tang dynasty emperor. His grandfather was given the title and positon of governor from Chinese emeperor, and this status was hereditary. His name is 乙突 Yi Tu. He belongs to 僕固 folks.

Historically, Huns and Turks were extremely strong, so that Chinese emperors in Tang dynasty were happy enough to pay all expense of their funeral, building gorgeous tomb s, burial items and monuments, if Turks governed in peace. Khans were very strong and always Khans were generals. Khans had to fight at the front. However, after around 630, Turks were getting weaker and they rather stayed under the name of Tang emperor's.
Regarding the buriale, I predicted he was Turi Khan, because his wife was Chinese princess, and he was given the status, governor of Hebei province. However, now I found there was stone epitaph.

被葬者については、大阪大学アーカイブ 鈴木宏節教授の「唐の羈縻支配と九姓鉄勒の思結部」に更に詳しい論文がありました。

2009年にモンゴル・ロシア連合考古チームがモンゴル国ショローン・ボムバガルにおいて、一基の墳墓の調査・発掘を行ったところ、墓誌が出土した。墓主は「金微州都督僕固乙突」という人物であり、埋葬年代は儀鳳三年(678)八月であることがわかった。

僕固乙突墓誌【誌  蓋】右辺 72.5 cm,他三辺 74.5 cm,厚さ 12.5 cm,薄い茶褐色 篆書体「大唐金微都督僕固府君墓誌」(4 行 × 3 字)【誌  石】縦 75.0 cm,横 75.5 cm,厚さ約 17.0 cm,黒色の石楷書体 28 行 × 31 字

1 発辞,2 祖先(祖父・父)に関する記述,3 墓主の人となりと 金微州都督の世襲,4 西突厥 阿史那賀魯の反乱とその討伐の参加, 5 高宗の泰山封禅への参加,6 軍功と官品の上進,7 死去と葬儀

僕固乙突は,貞観九年(635年)に生まれ、儀鳳三年(678年)に没した(享年44)。トルコ系遊牧部族連合の九姓鉄勒を構成する僕固部の首長であった。この僕固は僕骨とも記録される。彼の祖父は歌濫抜延といい、唐から都督を授けられた人物で、祖父の代から金微都督を世襲していた。彼は墳墓の造営から埋葬品などの荘厳、そして墓誌に至るまで唐の資財援助 を得ていたことになる。また墓誌だけでなく唐から碑までも賜っている。

唐から碑を下賜された同時期におけるトルコ系遊牧首長の例をみると、647年に没した突厥の阿史那思摩に行き着く。彼が培葬された太宗の昭陵のふもとに、螭首と亀趺を備えた「李思摩碑」が現存している。同じく昭陵に陪葬された阿史那忠652年没については螭首に方趺、 碑身388×118×34cmを誇る「阿史那忠碑」が現存する。これらの碑文の存在に照らせば、ハラーゴル碑文もまた唐の監修を経て思結部に下賜されたものであったと考えられる。

護雅夫氏は、唐の天子が,臣たる諸国・諸族の首長が死亡 すれば必ず詔して,その後継を冊立する権利と義務とを保有するに至った。と強調する。羈縻支配時代、都督の交替には唐の関与が前提にあったとすれば、その後に期待される都督の襲名や先代都督の葬礼にも唐の関与を想定できることになる。

首都の長安・洛陽や唐内地にとどめられたトルコ系遊牧民の王族や首長に対し、特に葬送儀礼に際して唐の関与があったことは、皇帝陵の陪葬墓や出土墓誌などの遺物からよく知られて いた。実際はそれだけにとどまるものではなかった。僕固乙突墓や ハラーゴル碑文や遺跡が証明してくれるように、都督の称号を授けて遠くモンゴル高原に羈縻していた首長たちに対してさえも、唐は少なからざる財物を供与していたのである。


「僕固乙突墓誌」には「同時に碑も立てた」という一文があり、墓誌とは別に墓の外には神道碑も立てられたことがうかがえ、ボルガン県バヤンノール郡ツォヒーン・ホダグの草原に碑があった。

そういうわけで、候補者を考えましたが、結論が出ていました。

候補1 東突厥 都藍可汗 妻 千金公主(周王室王女)599年隋がのちの煬帝を大将として達頭可汗(聖徳太子)と都藍可汗連合討伐に向かったが、出陣前に都藍可汗は部下に殺された。

候補2 東突厥 突利(啓民)可汗  602-631 29歳で病没 唐の太宗と兄弟の契りを結ぶ。妻 淮南公主 現在の河北省秦皇島市にあたる北平郡王と順州都督に封じられる。631年山西省普中市一帯で病死。

候補3 西突厥 射匱可汗 可汗庭(首都)は亀慈北の三弥山

古墳の場所はカラコルムの北のようで、カラコルムとクチャは比較的近いです。

候補4 西突厥 統葉護可汗 626年唐に王女降嫁を求めて高宗から許可されたものの、実現前に628年代伯父の莫賀咄に殺害された。可汗庭(首都)はタシュケントの北、現在のMerke

 

タシュケントからカラコルムはやや遠いです。唐の皇帝と良い関係を結んでいたこと、妻が唐王室の人だったことから、突利可汗が被葬者候補として最適では?

サマルカンドの少し東南にペンジケントがあります。ペンジケント遺跡には有名な壁画がありますが、画風は全く違います。

a famous mural in Penjikent remains near Samarkand

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avantdoublier.blogspot.com

Bayannuur is 180km far from  Ulaanbaatar.

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徳島大学機関レポジトリ「モンゴル草原の突厥オラーン・ヘルム壁画墓」東潮名誉教授のレポートより、墓の位置

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Beautiful photos are from Lhagvasuren Erdenebold's site.

美しい出土品の写真は、Lhagvasuren Erdenebold様からいただきました。

http://www.austriaca.at/0xc1aa5576_0x00358436.pdf

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 The photo above is from a Russian site.

上の古墳図は、以下の方からいただきました。URLはファイルで取り出し不可能でした。

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上 写真中央の、金の扉の閂  golden rocks of the front door

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ハート型ですね。 Lovely heart shape.

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The harness excavated from Okinoshima island(Kyushu) in Japan is also heart-shaped.

日本の沖ノ島から発掘された杏葉もハート型です。

 

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 They look like Alibaba and 40 thieves, rather lovely faces.

アリババと40人の盗賊をちょっと思い浮かべてしまいます。可愛いですね。

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The eyelashes of a horse are lovely, too.

馬の目に睫毛まで描いてあって可愛らしい。

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迦楼羅 Karura

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A lion

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 entrance

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この人物像までが、入り口坑道の壁画

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ceiling picture in entrance. 

廊下の上の方の壁画

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This face looks like a Tibetan or Bhutan Buddhism god.

チベット仏教ブータンのお祭りにありそうな。

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 墓室の隣の部屋の壁画 目尻の皺を強調していますね

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墓室の壁画 

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棺の中の絹  Silk cloth in a casket

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墓誌がありますが鮮明でないので読めません。an epitaph made of stone

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Byzantine coins and Sasanid coins. 

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 宝飾品

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追記 徳島大学機関レポジトリ「モンゴル草原の突厥オラーン・ヘルム壁画墓」という素晴らしいレポートがありました。1番詳しいです。同時代の唐の公主や突厥の将軍の墓との比較が詳しく、出土品や図がわかりやすく図説されています。
著者 東 湖 徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部名誉教授
 
こちらから、素晴らしい出土品の美しい写真をいただきました。
 
 Lhagvasuran Erdenebold
Preliminary Excavation findings from Shoroon Bumbagar, Ulaan Kherem,Mongolia

http://www.austriaca.at/0xc1aa5576_0x00358436.pdf

 

www.mongoliatourism.info