森部豊著 勉誠出版 2014
ソグド人商人の立派なお墓の彫刻などが、素敵です。私はソグド人は、商人、僧侶として、長安から日本に移民してきたと思っています。安井、安川、安江、安藤、というような苗字の方々の祖先は、ソグド人かもしれないと想像します。
ソグド人の実相を知るために適した本。勉誠出版の本は教科書的で、13名の執筆者による小論文の集成になっていてわかりやすいし、参考図書もてんこ盛りです。
胡とはイラン系を指すようですが、ソグド人のことを指すのですね。
宗教:ゾロアスター教、但し仏教僧侶もいる。
例)則天武后に仕えた法蔵はサマルカンド生まれのソグド人
代表的名字:康、安、曹、史、何、石、米
職業:通訳、使者、貿易商人、突厥王族のブレーン、外交官、軍人
”ソグド人の墓と装具” 影山悦子女史の論文から抜粋の写真。
P68 ソグド人がゾロアスター教を信仰しながらも中国式の墓を採用した理由は、薩宝、天主という官職につき、中国社会において墓を建てることが許される地位にあったことと関係があるだろう。
"突厥とソグド人ー漢文石刻史料を用いて” 齋藤茂雄
p226突厥がソグド商人を中心とした交易ネットワークに加わった。遊牧国家にとって、交易の利益を得ることは国家発展に極めて重要なことだった。
p232 森部豊氏の研究によれば、突厥第二可汗国出身であり、ソグド系突厥である安禄山もまた、幽州に降ったあとに商業に従事するソグド人と連携しており、安史の乱の経済的支援はソグドネットワークが担ったという。
p244 ソグド人マニアクは突厥・ビザンツ帝国との攻守同盟の締結に成功する。568年にビザンツ皇帝ユスティノスは、将軍ゼマルコスを返答使として突厥に派遣した。彼はシルジブロスの本拠を天山山中のエク・タグ(ギリシャ語で金の山)を訪れた。
ゼマルコスは可汗の天幕が極めて巨大で、内部も鮮やかな綾絹で飾られ、可汗が金製の椅子に座し、金や銀の動物が配された容器を用い、遊牧民と言えどもビザンツ宮廷にひけも取らない様子に感心している。
こうした品々は、中継貿易に従事していたソグド商人がもたらしたものである。
風神、雷神の原型でしょうか?面白いです。
とても興味を惹かれるのが、達頭可汗のコインです。小林惠子先生の仮説のように、聖徳太子が、達頭可汗と同一人物であったとしたなら、一体どこで永遠の眠りにつかれたのでしょうか。どこか草原のクルガンか、それともササン朝ペルシアの領地のどこかでしょうか。