突厥といえば、小林惠子説では、西突厥も東突厥も支配した達頭可汗が聖徳太子だったとのこと。突厥文字ってどんな形?と思っていましたが、難解でした。
モンゴル東部で見つかった突厥文字の石碑 2013.7.20 の記事
大阪大学の考古学者たちは、モンゴル東部で8世紀の突厥語の碑文を発見しました。写真は、石の柱に刻まれた部族の紋章です。東モンゴル東部で突厥語の碑文が発見されたのはこれが初めてです。この遺跡は首都ウランバートルの南東約450キロに位置しており、大阪大学とモンゴル科学アカデミー考古学研究所が共同で調査を行った。以前、突厥語の碑文はウランバートルの西のオルホン盆地で発見され、そのような碑文が東には存在しないと常に信じられていました。 大阪大学の小沢高教授らは、3〜4mの四角い丸い石柱が土中に埋められて、碑文があるのを発見した。今までに発見された最大の碑文の1つで、部族の紋章と長さ5 cm、幅7 cmのテキスト、約20行、合計2832語(646語)で刻まれています。 碑文の内容は、家族やその部下の故人である「私の茶色の土地」「私の家」など。
突厥人が、中央ユーラシアの草原で文字を発明した最初の遊牧民であった。小沢教授は、「中国の資料からは学べない遊牧民の地位が、自分の言葉で表現されているのでとても貴重です。この地域はウラン鉱山地域であり、資源開発により古代遺跡が被害を受ける可能性があります。」と話している。