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「日本人の心の故郷への帰路 幻の橋」

 ヴァンミーター・美子著 レムナント出版 1997

 

p154 毎年過越の祭と仮庵(かりいお)の祭がイスラエル人の間で盛大に行われている。仮庵の祭は太陽暦では9月中旬から10月中旬になる。40年の荒野での生活と約束の地での主なる神の恵みの収穫を記念として祝ったものだ。陽子とマイクはワシントン郊外のフェアファックス市にいたとき、オヘブというユダヤキリスト教会で、これらの祭を一緒に祝う事が出来た。


p158 「次はこれら三枚のマツォトです。マツァが単数形になります。これは種無しパンの事で、罪で膨らんでいない状態です。マツァは、またハ・モチとも言われます。ハは英語の冠詞ザと同じようなものです。このモチの語源はexit outです。」

はっとした。「持ち出す」「持ち越す」「持ち直す」などの語句が飛び出して来た。これらの動詞である「もち」の漢字は持ち、だ。名詞のモチは餅。お正月に食べるモチと、過越の祭のハ・モチは、発音も意味も、作り方も、そして目的も同一である。両方とも、聖なる祭祀用として使われている。

 

p159 「スファルディ系のユダヤ人は、お米でマツァを造ります。ロシアからのアシュケナージ系のユダヤ人は、特別な小麦粉を使います。ここに3枚のマツォトが重ねてありますね。真ん中のを二つに割って、半分は真ん中に戻し、こちらの半分は、ナプキンで包んで家の中に隠します。これを食事の後に、子供達が家中を探し回ります。見つかった時は家族揃って小躍りして喜びます。

真ん中のマツァは、ギリシャ語でアフィコーメンと呼ばれ、意味は色々あります。デザート菓子、過越の仔羊とか、または「彼は来る」などの意味を持っています。」

 

p166 日本の祭祀には、旧約聖書にあるような動物の生贄の風習がない。このユダヤ系教会に顔を出し始めて、まだ日も浅いころ、牧師さんに夕食に招かれた。
「日本の神社では、羊などの生贄、つまり動物犠牲をしますか?」
「皆無です。お餅、塩、土地からの収穫物くらいです。」
「ヤギ、羊、牛などの家畜動物による贖いの儀式は、エルサレムの神の宮でしか、してはいけないのです。世界各地に散らばったユダヤ神も、動物犠牲をしません。紀元70年にエルサレムの宮が破壊されましたから、もう二千年近く、ユダヤ人は動物犠牲による贖いを行っていません。」

 

p66 ヤマトウ人というのは、中近東あたりに、ずっと長い間住み続けて来たイスラエル人です。

 

p170 「スコットはヘブル語で仮庵のことです。昔は7日間この中に住んでお祝いをしました。主がエジプトからイスラエル人を連れ出して荒野で仮庵に住まわせたことを記念としたお祭りなのです。」
収穫の束はススキのような穂をつけたナツメヤシの枝、榊よりも小さめの葉のいっぱいついたギンバイカの小枝、その上に中近東独特のオレンジで成っていて、それをポールさんは上下左右に動かした。神社の神主が榊を揺り動かすのと似ていた。
この祭は、9月中旬の満月の夜から始まる。日本式に言えば、中秋の名月と同じ夜になる。

 

p87 オーストラリア人ラッセル・ブラドン氏は、太平洋大戦中、東南アジアにおいて日本皇軍の捕虜となった。彼は身近にいる日本軍人を観察、研究の毎日を送り、のちに「世界と戦う日本」という本にまとめた。

p88 彼は百年戦争という言葉が日本軍人の口からいつも、吐き出されているのに気づいたと書いている。特に、敗戦の空気が漂う頃に。戦後、経済大国に成長しつつある過程においても、彼はその百年戦争という言葉を再び、まざまざと耳にした。彼によると日本の飛躍的な成功は、百年戦争の試みから生まれた結果ということだ。

「なんでも財閥関係では、百年戦争の作戦という言葉がよく出ているらしいよ」

 

p91 日本は世界にとって不可解な民族。しかし、旧約を熟知しているユダヤ人にとっては、少しも不可解でなく親近感さえ覚えるという。ヘブル語では神ヤハウェの選民、の意味になるヤマト。

 

p94 内面的な思考プロセスは、短期的で物質的な文化輸入だけの関係からは生まれてこない。遺伝的なものである。ヘブル系の起源、これが日本の内面ではないだろうか。

 

p95 日本人は環境に合わせるのが上手な国民である。天才的とさえ思う。そのくせ自分の世界には、他人を一歩も入れさせない。日本人は、徹底的な孤立主義者だ。

 

p124 ワシントン首都郊外に住んでいるとき、陽子とマイクはユダヤ人の結婚式に出席する機会があった。花などで綺麗に飾った柱が真ん中に置かれていた。それをぐるりを彼らが巡り回り、出会った段階で結婚が成立した。イザナギイザナミの結婚儀式は、ユダヤ民族に古来伝わる習わしであることを知った。
「あなにやし」これはイザナギイザナミが、柱を巡るとき語り合った言葉である。ユダヤ人アイデルバーグ氏によると、ヘブル・アラム語で「私は結婚する」という意味になる、と言っている。
天照大神は、イスラエル民族出身という可能性も生まれてくる。

 

p127 伊勢では、神宮御塩殿において御塩焼個が作られる。神社の供え物としての塩製造は、定められた家系によって為されているとのこと。塩は神道にとって欠かせない重要なもの。
レビ記二章十三節「あなたの穀物の捧げものに、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。」イスラエルの聖所も塩を欠かさなかった。

 

ヘブル語は関西弁の母?

p148 旧約聖書民数記16章より。荒野でキャンプしていたヘブル民族の中で、コラとその仲間は、モーセとアロンに逆らい、不平を言って呟くことによって神ご自身に挑戦した。主は非常にお怒りになり、コラとその共謀者たち、その家族、全ての持ち物は裂けた大地に飲み込まれてしまった。
旧約聖書ヨシュア記。ヨシュアは約束の地カナンに入り、主が共におられ、戦いは完勝の連続だった。弱そうな都市国家アイへは全軍が自信を持って出陣したが無残に敗れた。主に祈ると、主がお定めになった聖絶のものには手を出すなという掟をアカンが破ったことがわかった。アカンは外套、銀、金の延べ棒1本が欲しくなってとった。アカンへの戒めが果たされたあと、ヨシュアの軍はアイの国を打ち破った。

 

p150 ユダヤ人が、トラの巻と預言者たちからの神の言葉を土台にして、天国と地獄の観念と、救い主来臨の希望を抱いたのはバビロン追放後だった。その頃、十部族は、もうユダヤ人と共にはいなかった。

 

p191 「新シルクロード考」「新世界旅行、女性は太陽だ、日本の古代史を探求して」テレビドキュメンタリーより。
中国の奥深い西南地域の少数民族の風習に日本文化のルーツが見て取れる。

ペー族では結婚式の行列に、花嫁は直径10cmくらいの唐鏡をペンダントのように胸の所に垂らしている。日本の葵祭りにおいてヒロインの女性が額に、天照大神の白馬の額にも、そのような鏡をつけて行列を進行する。

ナシ族はチベット系の遊牧民族だ。彼らの農家の佇まいが日本の農村のと同じである。地母神(母なる大地の神)があちこちに祀ってあった。絵文字が刻んであり、布地で胸当てをし、赤紐が首のあたりで縛ってあった。赤エプロンをかけた日本の地蔵さんとそっくりだった。