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「誰も知らない世界の御親国日本」

布施泰和著 ヒカルランド 2011

 

読んだことがある話がほとんどでしたが、この著者は、第73世武内宿禰と親しく、そのエピソードが面白かった。随分若く、令和2年に急逝されたんでしたよね。残っていたブログを見たら、ふとこの記事が目に止まりました。このエピソードは大変興味深いです。南方熊楠が、人種差別をした博物館員を殴ったことを、女王自ら探り出して、南方に戻るように言ったのに、南方は日本に帰国したのだとか。その後も和歌山県知事にゲロを吐いて、牢屋にいたのだとか。昭和天皇は、南方と植物の話をするために、わざわざ和歌山に出向かれたのだとか。そして、南方からもらったキャラメルの箱に入った標本を大事にされていたと。

竹内氏の文章で、そのエピソードを拝読しましょう。

 

南方熊楠は、上の命令には従わない男である。
しかし、南方に会いたかった昭和天皇は、
侍従を使い、「南方先生に会えるなら会いたい、と
私(昭和天皇)が言っていた」と和歌山県知事に伝えた。
(ちなみに、和歌山県知事はゲロを吐かれた当人である)

南方と交流のある貴族院書記官長、
柳田国男民俗学者)の情報もある。

昭和天皇は南方に会えるという連絡を聞き、
なんと、連合艦隊旗艦・長門
和歌山へ向かった。
つまり、天皇が自ら向かったのだ。

天皇に献上する標本は、
本来<桐の箱>に入れて献上すべきところであるが、
南方は<キャラメルの箱>を新聞紙に包んで渡した。
しかし、天皇は大変喜んだ。

天皇の書斎・御文庫で
一番大切なところにあるものは、
乃木希典からもらった『中朝事実』と
南方熊楠からもらった標本であった。

終戦の日、皇居内でクーデターが起こった。
その時、昭和天皇がたてこもったのが、
自らの書斎・御文庫である。

戦後、昭和天皇は、南方にかつて会った
和歌山県神島に向かった。

そこには、神島の自然を守ろうと
国家権力と戦った南方熊楠の石碑がある。

その横に、実はもう一つ石碑がある。

あめにけぶる かしまをみると 
きいのくにのうみし 
みなかたくまぐすをおもふ

これは、昭和天皇の歌である。
国家権力と戦った男が、
国家権力の最高権力者に
偲ばれているのだ。

ameblo.jp

布施氏と竹内氏の言われることは微妙に違うので、竹内氏の著書も読んでみたいと思います。

この本で、面白いと思ったのは、キリストには石切彦とイスキリの二人の弟がいて、片方が十字架にかかったとか。キリストはイスズヒコ(五十鈴彦)または伊勢津彦という別名を持っていて、伊勢に住んでいたとか。出雲族、物部族とも仲が良かったとか。キリストが日本で亡くなっているという噂は、スピリチュアル系の本に書いてありますね。並木良和さんと矢作直樹教授の対談本にもあったと思います。竹内氏によれば、イスラエルはイセラエル=栄光なる伊勢という意味だとか。正統竹内文書に、キリストのことも書かれているのだとか。ちんぷんかんぷんではありますが、そもそも日本が世界で1番古く、そこから世界に散って行って、また戻ってきたという説はあります。海からと陸からと。

でもなぜギリシャ神話と日本神話はほとんど同じなの?という単純な疑問に答えてくれる本はないですね。