義経=ジンギスカン説についての著作はいくつかあります。ロシア奥地に今でも笹竜胆が彫刻された建物、神社と武具が残っているのだとか。
彼が東北、北海道、ロシアを訪ねて歩き、初めて義経ジンギスカン説を唱えたと言われています。
聖徳太子も日本で亡くなったのではなく、スイアーブかイシク・クル湖へ帰ったという説もあります。小林恵子説だと、太子は倭王多利思比孤、突厥大可汗で、且つササン朝ペルシャのシャフリバザール将軍でもあったとか。
七海 晧奘 「ボルテ・チノ真 義経記」
小林惠子「聖徳太子の真相」
ところが、最近ネットで知ったのが、義経、信長、光秀は欧州へ行ったという話。
天皇の密書を持って外交的目的で行った説。臨死体験をしたという木内鶴彦さんの説。
その場合、東北から船で大陸へ、モンゴルを経て、草原の道を通って欧州へ行ったのでしょうね。