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細川珠

エミー賞を受賞したドラマ「将軍」のあらすじをわかりやすく追ったサイトを見ました。真田さんはカッコイイし、衣装も見応えがあります。実際の人物をぐぐると、三浦按針と、細川ガラシャこと細川珠が接触したことは、歴史上ではなさそう。細川忠興との間には、5人の実子がいたんですね。実際の忠興は、かなり珠を気に入っていた様子。側室も4人いたけれど。もちろん、空想のドラマですから、史実と比較しても仕方がないとはいえ。

未婚時代は珠姫、15歳で嫁いでからは、越中殿奥方、と呼ばれていたのでしょうか。16歳で長男を産んでいます。細川忠興をぐぐったら、なんと二人は同じ年齢でした。珠の方が1563年生まれでも3か月先に生まれています。忠興は千利休の高弟で、茶道の三斎流の開祖なのだとか。教養人でもあり、夫婦で和歌をやりとりする間柄。他の女性をもって代え難いほど聡明であることが、忠興の並々ならぬ愛情を受けた理由だったんでしょうか。知的な会話がしたかったんでしょうね。亡くなったのは37歳です。子孫二人が孝明天皇に繋がるのも初めて知りました。細川ガラシャ徳川家康細川忠興wikiを読んだだけでも面白かったです。

wikiより

「当時の資料では、越中殿奥方などと表記されている。夫の「細川忠興」も歴史用語に過ぎず、織豊政権下では長岡越中守や羽柴丹後侍従などを名乗り、細川に改称するのは関が原以降(妻の死後)である。」

私があれ?と思ったのは、信長が本能寺で亡くなったとはいえ、爆破されて死体は見つかっていないという史実。そして細川珠(Gratiaグラツィア 意味は恩寵が洗礼名)の場合も、はなはだ、怪しいかも、ということでした。つまり、自害したのは影武者か侍女だったかもしれないということ。淀君の母である、お市の方も、実は自害してなかった説があります。どこだったか忘れましたが、別の地方で、お市の方のお墓があるのだとか。細川邸を爆破したのは、珠の死体が見つかると、別人であることがバレるかもしれないからかも?というか、身分の高い女性は、人前にあまり顔を出さないはず。だからバレる可能性は低かったと思われます。味方をも騙すのが当時のやり方であることを思えば、ありえるかも。

高貴な生まれの子女には、幼少時代から、侍従や侍女として、同年代のおつきがついていたはず。時には、身代わりとなって死ぬことも、求められていたのでは?例えば最後の徳川将軍の孫である、高松宮妃喜久子妃殿下がそうです。小学校時代から学習院で一緒に学んだ同級生の一人が、女官として91歳まで勤められて、本を出版されています。現代だから、身代わりにはなっていませんが。喜久子妃殿下も聡明でしたが、女官の方も、同じレベルの高等教育を受けています。紫式部にしてもそうですよね。

wikiより

「死の数時間後、神父オルガンティノは、細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬った。忠興はガラシャの死を悲しみ、慶長6年(1601年)オルガンティノに教会葬を依頼して葬儀にも参列し、後に遺骨を大坂の崇禅寺へ改葬した。他にも、京都大徳寺塔頭高桐院や、肥後熊本の泰勝寺等、何箇所かガラシャ墓所とされるものがある。法諡は秀林院殿華屋宗玉大姉。

なお、細川屋敷から逃れた婦人のなかには、ガラシャの子・忠隆の正室前田利家の娘 千世もいたが、千世は姉・豪姫の住む隣の宇喜多屋敷に逃れた。しかし、これに激怒した忠興は、忠隆に千世との離縁を命じ、反発した忠隆を勘当・廃嫡した。彼女の死後、忠利が興秋を差し置いて家督を相続、不満を抱いた興秋が大阪の陣で豊臣側に与する原因となった。石田方はガラシャの死の壮絶さに驚き、諸大名の妻子を人質に取る作戦はむやみに拡大しなかった。」

これを読むと、忠興は、やはり珠のことを相当大事に思っていたんですよね。教会葬をしてあげてから、お寺へ改葬するなんて。そして、長男の嫁が逃げ延びたからと言って、離縁を命じたり、廃嫡までするなんて。もし珠が生き延びていたとしたら、離婚したかったのですから、本望だったかも。でも長男の件は、嫁の実家が裏切るという内部情報があったとしたら良い口実となり、踏み絵として離縁を持ち出したところ、長男は父親でなく、嫁の味方をしたので、廃嫡を決めたのかもしれません。一番適任の息子に後を継がせたいと思っていたのでしょう。一筋縄ではいかないですね。家族もいつ敵に回るかわからない時代なら。その忠興の読みが当たって、現代まで細川家は存続してきたわけですね。

wikiより異説 

「一般には上記の通り、玉子はキリシタンの戒律及び夫の命を守り、自害することなく、少斎の手にかかって死亡したとされる。しかし太田牛一の『関ヶ原御合戦双紙蓬左文庫本では、自ら胸を刺した、とあり、河村文庫本ではさらに、10歳の男児と8歳の女児を刺殺した後に自害した、とある。

『言経卿記』慶長五年七月十八日条にも「大坂にて長岡越中守女房衆自害。同息子十二才・同妹六才ら、母切り殺し、刺し殺すなりと云々。」とあり、玉子の子供たちの犠牲について、当時噂になっていたことが窺える。また、侍女らが全員脱出した、との点に関しても、三浦浄心見聞集』には「御内儀竝子息弐人、供の女三人自害」とあり、少斎の他にも殉死者がいたとの噂は広がっていたようである

なお、細川家の系図(『熊本藩世系』)では忠興の12人の子のうち玉子所生は長男・忠隆(天正8年生)、次男・興秋(天正11年生)、長女・長(天正7年生、前野長重室)、三男・忠利(天正14年生)、三女・多羅天正16年生、稲葉一通室)の5人とされており、当時13歳だった多羅に、さらに同母の弟妹がいたとは認められていない。

人物

キリシタン宣教師が彼女の性格を評したものや『細川記』に採録されている逸話を見ると、気位が高く激しい性格の持ち主であったらしい。しかしキリストの教えを知ってからは、謙虚で忍耐強く穏やかになったという。

いったん事がある時は甲冑をつけ馬に乗り敵に向かっても、私は男にさまで劣るまいと語った。夫・忠興が家臣を手討ちにして、その刀の血を彼女の小袖で拭っても動ずることなく、そのまま数日間も着替えないので、結局は忠興が詫びて着替えてもらった。」

このドラマだと、結構三成モデルの人物が高飛車ですが、五大老の筆頭は家康だったはず。淀君石田三成が婚姻した史実はないですし、ドラマとはいえ、ちょっと気になりました。

以前、明智光秀の子孫が書いた小説を読んだことがあります。なぜ信長を討とうと決めたのかについて、書かれていました。別の本では、信長はフィリピン経由で、バチカンへ行って、ナンバー2まで上りつめたとか。残されている肖像画と信長の肖像画が、よく似ているのです。信長は一人で行ったのではなくて、光秀とバチカンまで行ったんだったかしら。ともかくも、真実の歴史は、隠されているのが常らしいです。

家康は、関ヶ原の戦いで、真田に討たれて、以後は影武者が家康役を務めたというストーリーがドラマになっていましたっけ。西田敏行が、家康役でした。家康が入れ替わった説だけでも複数あるんですね。wiki徳川家康を読んだら、ものすごく長くて、読むのに時間がかかりました。小林惠子元岡山大学助教授の著書でも、天皇ですら、途中で入れ替わった方の話が出てきますから、大名で入り替わりがあっても全然おかしくないと思います。例えば病死、戦死しても、お家断絶になると困るから、身代わりを立てるとか、ありえそうです。

この手の影武者説は、とっても多いみたいです。義経がジンギスカーンになった説、ウラジオストック郊外に、笹竜胆紋が彫られた建物が残っているという写真も以前見ました。本の題名はちょっと覚えていませんが、その写真は以下です。「天皇奇譚 昭和天皇国師が語った日本の秘話」高橋五郎著だったかもしれません。「ジンギスカン源義経なり」を書いた小谷部全一郎の本は読んでいませんが。

ja.wikipedia.org

wikiより

復活譚は、『成吉思汗ハ源義經也』が最初ではない。義経生脱説は日本の中世から近代にかけて、たびたび巷間に浮上してきた。

義経生脱説は江戸中期の勃興から300年間囁かれ続けてきたことになる。

マリー・アントワネットは、処刑直前に身代わりと入れ替わって、デンマークへ亡命したらしいという動画を見たこともあります。

ドラマでは、ややこしくなるから、側室は出てこないようですが、虎長の正室も出てこなくて、虎長と鞠子の場面が多いのもちょっとおかしく感じました。鞠子が、お茶屋で安針の相手にと、遊女菊の値段交渉をしたり、安針を連れて、菊との場面に同行しているのも、不自然な気がしました。一千年続く家柄と見栄を切った台詞もあるのに、そんなお姫様である奥方が、そんな場所へ同行するのは矛盾しているのでは?侍女にさせたらいいことと思います。安針の通訳、実際は神父がしていたのか、信者がしていたのでしょうか。

虎長の長男が、池の石で死ぬのも変だし、裏切り者の薮重に切腹を命じて、虎長が介錯するのも、どうなんでしょう。そんな身分の高い人物が、介錯を務めるのでしょうか。二十年越しに、真田さんがハリウッドで積んだ実績から生まれた時代劇で、喜ばしいのですが、そもそもドラマのあらすじが気になってしまいました。ドラマそのものより、ドラマと史実とされていることの比較の方が、面白いかも。

ドラマ自体は見ていなくて、youtubeに上がっている部分だけをいくつか見たのですが、「覚悟はできておりまする。」の代わりに、「夕食はできておりまする。」とか、言ってみたくなります。流行語にならないかしら?

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