ひまりさんが8歳で弾いたPaganiniの協奏曲1番。みどりさんも同じ頃には弾いていたと思います。ここでは小学生くらいに見えるみどりさんの動画があったので載せます。既に貫禄を感じる演奏ですね。wikiを読むと、みどりさんは11歳でズービン・メータ指揮のオケと共演されているのですね。ひまりさんも今年11歳。今後の有名オケとの共演が楽しみですね。
1980年、8歳の時、演奏を録音したカセットテープをジュリアード音楽院のドロシー・ディレイ教授に送り、入学オーディションに招かれた。周囲の反対を押し切り、1982年、母に連れられて渡米、ジュリアード音楽院において高名なディレイ教授の下でヴァイオリンを学ぶ(入学オーディションではバッハの「シャコンヌ」を通しで演奏して審査員を驚かせた)。同年12月31日、11歳で、ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックとパガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」第1楽章で「サプライズ・ゲスト」として協演して米国デビュー。日本でもニュースになり、「天才少女デビュー」という見出しで報道された。
1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。レナード・バーンスタインの指揮で、「セレナード」第5楽章を演奏中にヴァイオリンのE線が2度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまう。2度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。しかも、ヴァイオリンの交換はソロパートの演奏がないわずかな時間で行われ、演奏が止まることはほとんどなかった。バーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカの小学校の教科書にも掲載された。
1987年、15歳で自らの意志によりジュリアード音楽院プレカレッジを中退。1988年、芸術選奨新人賞を史上最年少で受賞。早くから社会事業に関心を持ち、1992年には教育環境が行き届かない都市部の公立校に通う生徒を対象に、音楽の楽しさを伝える非営利団体「みどり教育財団(Midori & Friends)」をアメリカで設立。2001年には傑出した音楽家のみに贈られるエイヴリー・フィッシャー賞を受賞し、その賞金をもとに「パートナーズ・イン・パフォーマンス」基金(通称PiP)を設立する。その後もより地域コミュニティーに根ざした「ユニバーシティー・レジデンシー・プログラム」と「オーケストラ・レジデンシー・プログラム」を次々に立ち上げる。
2001年、心理学を専攻していたニューヨーク大学ガラティン校を「優等」(magna cum laude) で卒業。その後、同大大学院修士課程を修了し心理学の修士号を取得。
2002年、「みどり教育財団(Midori & Friends)」東京オフィスを改組し、特定非営利活動法人「ミュージック・シェアリング」として新たに日本法人を発足した。2006年より、開発途上国での社会貢献型の演奏活動、「インターナショナル・コミュニティ・エンゲージメント・プログラム」を開始。これまでに、ベトナム、カンボジア、インドネシアなどで、オーディションで選ばれた同行の若手演奏家たち(ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、チェリスト)と共にカルテットを編成し、無料のコンサートを開催している。2007年9月より、日本人として初めて国連ピース・メッセンジャーに就任。
マンハッタン音楽学校の教授を務めた後、2004年南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校のヤッシャ・ハイフェッツ記念教授に就任し、2007年より弦楽学部主任教授を務めている。一年を通しての国際的な演奏活動に加え、全米弦楽器教師協会の理事も務める。
2014年、グラミー賞の81の賞(クラシック音楽部門は8つの賞 グラミー賞カテゴリー一覧クラシック音楽)の一つで、2013年に新設された「最優秀クラシック・コンペンディアム賞」が、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、NDR北ドイツ放送交響楽団によるアルバム『パウル・ヒンデミット作品集』(全3曲)に対して授与された。彼女は、このアルバムの全3曲中、2番目の曲(ヴァイオリン協奏曲)でソリストを務めた。2020年5月、ブラームス賞受賞。2021年1月にケネディ・センター名誉賞。
米国の文化や芸術に貢献した人や団体に贈られる「ケネディ・センター名誉賞」に、バイオリニストの五嶋みどりさんが選ばれた。日本人では、2015年に小澤征爾さんが初めて受賞して以来。センターは受賞者発表で、五嶋さんについて「優雅な精密さと表現力を融合させた演奏で、芸術と人間としての経験の結合を生み出した」と評価した。五嶋さんは「先駆的な手法と伝統的な手法の両方を通じて音楽をつくり、私たちの内側にあるものを呼び覚ましていきたい」とコメント。「私たちを一つにする夢や希望の新たな表現に向け、共に手を伸ばす中で、受賞者の一人に選ばれたことは感無量だ」と述べた。
ケネディ・センター賞のメダルというのか、サッシュをかけた記念写真。
このワンピース、よくお似合いで素敵。この写真もとても柔らかないい表情を捉えていていいですね。この写真は、苫米地英人氏にもよく似ていますね。
父と別れて8歳で渡米。リーダーシップのある強い母の厳しい指導で、母を超えてバイオリンに秀でた彼女ですが、15歳の時、ジュリアード音楽院のドロシー教授のアシスタントをしていた母の不倫相手に会いたくなくて?自主退学してしまう。特待生として、費用も免除、何かと恵まれていた環境を捨てたら、普通のハイスクールに行かなくてはならない。いじめられて、指だけは踏まれないように庇った。とみどりさんの本で読んだことがあります。母親は、「あなたが勝手にジュリアードをやめたんだから、公立校を卒業しなさい。」と突き放したとか。ドロシー教授は「いつ戻ってきても良い」、と伝えたそうなのですが。みどりさんとしては、その男性と母の関係が切れて欲しかったのかもしれませんね。ただ、二人の絆が強すぎて、男性は離婚して、母と再婚、五嶋龍さんが生まれたわけです。
私は龍さんの人柄は好きですが、演奏はあまり好みではありません。みどりさんは、ボランティアなど様々なプロジェクトを立ち上げて、修行僧のような雰囲気を漂わせて、完璧な演奏をされていました。
かなり経ってから、みどりさんが、母と相手を許す心境になったようですね。そして、みどりさんは、噂では、精子バンクを利用して一児を出産されたらしい。8歳くらいになる男児らしいです。そのせいか、みどりさんがもっと幸せそうに見えますね。