昨年7月30日のマルガレーテ女王のファッションに写真を追加していたのですが、英国王室とスウェーデン王室とデンマーク王室の血縁関係に気がついたのでここに書いておきます。
この方は、英国王子とプロイセン王女の間に生まれ、スウェーデン皇太子と婚姻されました。祖母がビクトリア女王。長男が現在のスウェーデン国王の父親、長女がデンマーク王妃になったイングリッド王女。ところが38歳の若さで病死されたのですね。それも第6子を妊娠中であり、手術中の急逝という悲劇的な。
3年後の1923年、夫のスウェーデン皇太子(のちのグスタフ6世アドルフ国王)は、ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの娘で、ルイス・フランシス・マウントバッテン卿の姉並びにエディンバラ公フィリップの叔母に当たるルイーズ・マウントバッテン(イングリッド王女とは又従姉妹)と再婚しましたが、お子様には恵まれませんでした。
長男の後継も、なんと41歳で飛行機事故で薨去なさったという更なる悲劇が。
エリザベス女王とフィリップ殿下が、マルグレーテ女王が17歳の時にデンマークを訪問された際から、現在までずっと両王室は親しいのですね。マルグレーテ女王は、この祖母の愛称デイジーをそのまま名乗られています。
ビクトリア女王と。
美人姉妹で有名だった妹のパトリシア王女と。
この笑顔がとっても魅力的。
ティアラがよく写真では見えないのが残念です。
こちらはマルグレーテ女王の母、スウェーデンのイングリッド王女でデンマーク王妃。母上そっくりですね。
当時王太子だったスコーネ公グスタフ・アドルフ王子(後のグスタフ6世アドルフ)と、その妃であるマルガレータの長女(第3子)として誕生。母は1920年に急逝し、父は3年後にイギリス貴族ルイーズ・マウントバッテン(イングリッドとは又従姉妹同士だった)と再婚。父とルイーズには、流産した女児以外の子どもは授からなかった。
1928年、当時プリンス・オブ・ウェールズだったイギリスのエドワード王子(後のエドワード8世)の花嫁候補となるが、婚約に至らなかった。1935年5月、デンマーク王太子だったフレゼリクと結婚し、間に3女をもうけた。
ドライブ好きで知られたイングリッドはしばしばお抱え運転手の運転を断り、自身でデイムラーかロールスロイスを運転してコペンハーゲン市内を走ったという。
1926年、スウェーデン皇太子両殿下は日本を訪問されていました。これ奈良の正倉院でしょうか???
このお墓に、グスタフ6世とマルガレーテ皇太子妃とルイーズ王妃が葬られています。
マルガレータ Margareta |
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サクス=コバーグ=ゴータ家 | |
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全名 | マーガレット・ヴィクトリア・シャーロット・オーガスタ・ノラ Margaret Victoria Charlotte Augusta Norah |
称号 | スウェーデン王太子妃 |
出生 | 1882年1月15日 イギリス、サリー、バグショット・パーク |
死去 | 1920年5月1日(38歳没) スウェーデン、ストックホルム宮殿 |
埋葬 | スウェーデン、ソルナ、グロッケンベルク墓地 |
配偶者 | グスタフ6世アドルフ |
子女 | グスタフ・アドルフ シグヴァルド イングリッド ベルティル カール・ヨハン |
父親 | コノート公アーサー |
母親 | ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン |
マーガレット・ヴィクトリア・シャーロット・オーガスタ・ノラ・オブ・コノート(英語: Margaret Victoria Charlotte Augusta Norah of Connaught, 1882年1月15日 - 1920年5月1日)は、スウェーデン王グスタフ6世アドルフの最初の妃。スウェーデン語名ではマルガレータ(Margareta)と呼ばれた。愛称はデイジー(Daisy)。夫の即位以前に死去しており、王妃にはなっていない。
イギリス王子・コノート公アーサーとその妃ルイーズ(プロイセン王族、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の曾孫)の娘として、バクショット・パークのコノート公爵邸で生まれた。
3月11日にウィンザー城の礼拝堂でカンタベリー大主教アーチボルド・テイトによって洗礼が施され、ヴィクトリア女王(父方の祖母)、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世(母方の曽祖父の兄)、ドイツ皇太子妃ヴィクトリア(父方の伯母)、プロイセン王子フリードリヒ・カールとその妻マリア・アンナ妃(母方の祖父母)、イギリス王太子アルバート・エドワード(父方の伯父)が代父母を務めた。
5歳年下の妹パトリシアとともに、当時ヨーロッパでも指折りの美しい王女として知られていた。伯父エドワード7世は、姪たちにヨーロッパの王か王太子と縁づいてもらいたいと考えていた。1905年に一家で世界周遊旅行に出かけたマーガレットは、立ち寄ったポルトガルで王太子ルイス・フィリペ(カルロス1世の長男)の妻にと望まれるが、これは実現しなかった。同じくパトリシアも、訪問先のスペインでアルフォンソ13世の妃にと望まれるが叶わなかった。
エジプト・スーダン訪問のため立ち寄ったカイロで、一家はスウェーデン王オスカル2世の孫息子グスタフ・アドルフ王子と出会った。マーガレットとグスタフは恋に落ち、瞬く間に婚約が成立した。1905年6月15日に2人はウィンザー城で結婚し、新婚旅行としてアイルランドで過ごした後、7月8日にスウェーデンに到着した。マーガレットはスウェーデン語とスウェーデンの歴史、社会福祉についての講義を受け、2年後には見事なスウェーデン語を話せるようになった。1907年、夫の祖父オスカル2世の崩御によって王太子妃となった。
第一次世界大戦が始まると、マーガレットは赤十字社援助のために裁縫協会を設立した。パラフィン供給が低下するとロウソクのコレクションを提供した。
1920年5月1日、感染症による頭部手術を施される間に急逝した。その時、マーガレットは妊娠8か月で第6子を身ごもっていたが、死産した。
- グスタフ・アドルフ(1906年 - 1947年) - ヴェステルボッテン公、現国王カール16世グスタフの父。飛行機事故で他界。
- シグヴァルド(1907年 - 2002年) - ウップランド公、のちヴィスボリ伯。
- イングリッド(1910年 - 2000年) - デンマーク王フレゼリク9世妃。現女王マルグレーテ2世の母。
- ベルティル(1912年 - 1997年) - ハッランド公。
- カール・ヨハン(1916年 - 2012年) - ダーラナ公、のちヴィスボリ伯。