エルガーといえば、「愛の挨拶」「威風堂々」がすぐ思い浮かびますが、フィリップ王配殿下の葬儀でエルガーのエニグマより、ニムロッド、そしてエルサレムの2曲が演奏されていたのを見て、おや、英国王室とエルガーの関係は?と思ってwikiを見てみたら、ものすご〜く長いです。一言で言えば、紆余曲折があったものの、困窮した音楽家が多い中、エルガーは王室から勲章をもらったり、ナイトに叙されたり、国王の音楽師範を務めるなど、かなりハイソなところに上り詰めた人だったのですね。
初代準男爵サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar, 1st Baronet, OM, GCVO、1857年6月2日 - 1934年2月23日)は、イングランドの作曲家、指揮者。もとは音楽教師でありヴァイオリニストでもあった。
最もよく知られるのは『エニグマ変奏曲』や行進曲『威風堂々』、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、2曲の交響曲などである。また、『ゲロンティアスの夢』をはじめとする合唱作品、室内楽曲や歌曲も作曲した。
1904年(47歳)にナイト、1931年(74歳)准男爵に叙されている。1924年からは国王の音楽師範を務めた。
エルガーはレコード録音に初めて真剣に取り組んだ作曲家とされる。1914年(旧吹込み)以来、エルガーはレコーディング活動にも積極的であった。1925年に新しく開発されたマイクロフォンによる電気吹込みが導入されると、遥かに正確な音の再現が可能となる。彼は『ゲロンティアスの夢』の抜粋など自身の作品の主だったものを自ら指揮して非常に多く録音しており、演奏家としての活動も注目される。なお1シーズンのみであるが1911年にロンドン交響楽団の首席指揮者に就いている。政治的には保守主義の立場であった。『威風堂々』はエルガーの遺志により、保守党以外の使用を認められていない。
エルガーは1904年にナイトに叙され、1911年にはメリット勲章を受章した。1920年にはベルギーの王冠勲章(Order of the Crown)の十字章を授けられている。1924年に国王の音楽師範に任ぜられると、翌年にはロイヤル・フィルハーモニック協会からゴールド・メダルを授与された。1928年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・コマンダーを贈られた。
1900年から1931年にかけて、エルガーはケンブリッジ、ダラム、リーズ、オックスフォード、イェール、アバディーン、ウェスタン・ペンシルベニア、バーミンガム、ロンドンの各大学から名誉学位を授与されている。また、多数の国外のアカデミーのメンバーとなっており、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミア、フィレンツェのAccademia del Reale Istituto Musicale、パリの芸術アカデミー、フランス学士院、アメリカ芸術アカデミーが挙げられる。1931年にはウスター、ブロードヒース准男爵となった。
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初めて聞いた、素敵なエルガーの曲と、有名曲を殿下を偲んで聞いてみました。
3つのバイエルン舞曲
弦楽セレナードホ短調 作品20
生命の光
セヴァーン組曲
交響曲第2番 作品63
ニムロッド
ニムロッド
威風堂々 指揮者を始め、聴衆の盛り上がりぶりがすごいですね。
威風堂々 ベルリンフィルだとちょっと違う感じ
チェロ協奏曲
エルガーの伝記作家の動画
国歌と戴冠式頌歌