ナショナルジオグラフィック日本版サイトに、大変興味深い記事がありました。
ロシアの地図を基にしたウラジオストクの地図。その証拠に、いくつかの地名がキリル文字で記されている。(Photograph from Stanford University)
「地図の様式もバラエティに富んでいる。第二次大戦後に米国陸軍地図局で研究主任を務めたウィリアム・E・デービス氏もそれに気づいた。「戦時中、米国や英国は、地図の様式やデザインを標準化しようとしていた」と、デービス氏は1948年に記している。「しかし日本は正反対で、地図は個々の状況に合わせてデザインされていたため、色も記号も形式もざまざまだった」(参考記事:「戦争から参政権まで「訴える地図」9選」)
外邦図が作られた地域は、北はアラスカやシベリア、西はインドやマダガスカル、そして南はオーストラリアまで広がっている。いったいどれくらいの地図が作られたのかは誰にもわからない。その一番の理由は、軍が秘密裏に地図を作成し、米軍が迫る終戦間近に破壊命令を出していたことだ。」
雲南省に東京湾があったんですか。明治時代から、ロシア、中国、モンゴル、インド奥地へ過酷な探検をした少数精鋭の人々の話を読みましたが、やはり目的は地図作りだったのかもしれません。
中国、雲南省の南部の地図。牛疫、豚コレラ、家禽コレラ、インフルエンザなど、危険性の高い伝染病について記載されている。(Photograph from Shigeru Kobayashi)