「失われたミカドの秘紋」に、唐時代 景教が非常に盛んだったと書かれていたので、中国の教会を探してみました。
wikiより:ネストリウス派は、コンスタンティノポリス総主教のネストリオスにより説かれたキリスト教の教派の1つである。この教派は、431年、エフェソス公会議において異端として排斥されたため、宣教の中心を東方へ移動し、シリア、ペルシア、アラビア、南インドなどで布教した。
中国へは、太宗の時代の635年(貞観9年)にペルシア人司祭「阿羅本」率いる一団の宣教師によって伝えられた。太宗はその宣教を許し、3代高宗の時代になると、阿羅本は「鎮国大法主」という高い地位に封ぜられ、地方の州にも景寺(教会)を建てるよう詔勅が下された。中国では景教と表記されたが、景教とは中国語で「光の信仰」という意味であり、景教教会は当初「波斯(ペルシア)寺」のちに「大秦寺」の名で各地に建立された。景教はまた、「ミシア(Missiah 救世主)教」とも呼ばれ、「彌尸訶」「彌施訶」「彌失訶」などの字があてられた。
当初、唐の朝廷は皇族も含めた支配層が鮮卑や匈奴などの北族的要素を濃厚に有したこともあり、景教や仏教など非中華地域由来の宗教に対し寛容で、これらの信仰を保護した。698年(聖暦元年)、高宗の皇后であった武則天(則天武后)の仏教偏重政策により一時衰退したが、9代玄宗の時代には、寧王であった李憲ら五王が参拝し、庇護されるようになった。742年(天宝元年)には、玄宗が大将軍で宦官であった高力士に命じ、高宗・玄宗ら五代皇帝の御真影を寺に安置させ、また絹百匹を賜って祭るように指令しており、745年(天宝4年)には大秦国(東ローマ帝国)から、高僧として知られる佶和(ゲワルギス)が長安を訪れた。玄宗はアブラハムやパウロと称される17人の神職に命じ、ゲワルギスとともに興慶宮において景教式の大法会を執行させた。玄宗による景教保護には、景教による王権の権威づけといった意図も考えられる。
ネストリウス派は、8世紀後半の代宗(11代皇帝)の時代にも庇護され、隆盛を受けて12代徳宗治下の781年(建中2年)には、有名な「大秦景教流行中国碑」が建立されている。
祆教とは異なり、景教には多数の中国人信者がいたことが判明している。景教は当初ペルシア人によって伝えられたものであることから多分にペルシア化したキリスト教であったが、漢訳景教経典も遺存していることから、その教義の全貌も解明されてきている。景教は仏教や道家(老子や荘子の思想)のことばも採用し、皇帝には忠を、親には孝を説くなど儒家の要素もあって、多分に中国化している。
しかし、唐代末期の845年(会昌5年)には、18代皇帝の武宗による「会昌の廃仏」(仏教の立場からは「三武一宗の法難」のひとつとされる)など、唐王朝を伝統的中華王朝に位置づける意識が強まって、弾圧の対象となった。
ネストリウス派は、布教によって、のちにモンゴル帝国を構成することとなる北方の遊牧民にも広がり、チンギス・カン一族のなかにも、また、カン家の姻族にあたる諸氏にも熱心な信者を獲得し、元の時代には再び中国本土でも広く信者を得た。しかし、モンゴル帝国中枢の諸集団は、西方ではイスラームとトルコ系言語を受容してテュルク化していった一方、東方ではチベット仏教を篤く信仰し保護したため、ネストリウス派の信仰はしだいに衰亡、消滅していった。
五星街教堂
西安市の南西の角に位置する。西安の旧市街に隠されているため、場所を見つけるのは非常に困難です。決して有名ではなく、西安の多くの人々でさえここに来たことはありません。清朝の康熙皇帝(1715)の54年に建てられ、かつてはカトリックの陝西本堂でした。教会は1883年に拡張されました。教会は、中国式と西洋式を組み合わせたローマ様式と中国宮殿様式の混合です。バロック様式の建築様式で、高さ17メートル、炎のドームがあり、ローマの花崗岩の16の柱で装飾されています。
正面が高くて、後ろは低い建物なんですね。
他にも西安に教会があります。
西安教区龙家窑天主堂 地址:河北石家庄市学府路3号
ハルピン市 教会の名前がわかりません
ロシア様式の教会。1908年竣工。文化大革命時に壊され放置されていたが、2017年に復元された。
ハルピン市 聖ソフィア大聖堂
北京 王府井天主堂
イエズス会士が北京で宣武門天主堂の後に建設した2か所目の教会である。
イエズス会神父ロドビコ・ブリオにより、1653年に小さな教会が建てられたのが始まりである。現在の教会は建物は三層のロマネスク建築で、1904年に再建された。教会は建物細部の処理において、かなりの中国伝統建築の要素があり、中国と西洋建築の風格が上手く融合している。
1966年に文化大革命が勃発し王府井天主堂は閉鎖された。この間、教会は八面槽小学校により占用された。1980年に修復が始まり、12月24日に正式に公開されて、宗教活動が回復した。1990年に王府井天主堂は、北京市文物保護単位のリストに加えられた。
雲南省 大理市 大理古城基督教堂
日光東照宮のような配色ですね。
上海 徐家匯天主堂 1910年完成