wikiから歴史
ラダックにおける人の痕跡は青銅器時代までさかのぼることができる。その頃に彫られたと思われる岩面彫刻から、当時の人々が中央アジアの草原から来た狩猟民族であることが推測されている。この狩猟民族は今でもカザフスタンや東トルキスタンに住んでいる狩猟民族と先祖を同じくすると考えられている。
チベット文化圏に属するラダックは、よく小チベットと称されチベット仏教の中心地の一つとして有名である。文化大革命で破壊された中華人民共和国のチベット自治区よりも古い文化が良く残っていると言われる。特に曼荼羅美術の集積はチベットを凌ぐとされる。
初期仏教は少なくとも紀元前2世紀にはラダックに伝播したと思われる。クシャーン朝時代の仏教遺跡も見出される。初期仏教はこの地域へ経てさらに東へ伝わっていく。7世紀、チベットの吐蕃王国がシャンシュン王国を併合、ラダックと西ヒマラヤ地方を支配し、チベット民族が定着してゆく。8世紀になるとチベットから流入した仏教が再び盛んになる。
841年に吐蕃が滅亡すると、842年に中央チベットの豪族であったキデ・ニマゴン(Skyid lde Nyima-Gon/Kyide Nyimagon)がラダック王国を建国したと伝わる。17世紀にはバルティスターン王国と同盟を結び、センゲ・ナムゲル王の治世下に最盛期を迎えた。ザンスカールを支配下に収め、1630年には西チベットのグゲ王国を滅ぼした。1684年、チベットのダライ・ラマ政府(ガンデンポタン)と紛争が起こった結果、旧グゲ王国領域をチベットへ割譲され、ラサに朝貢することを約す。しかしチベット本国とはその後も対立が続き、その間にカシミールの諸侯が影響力を伸ばした。
チベットの壁画と仏像を沢山載せていらっしゃる遺跡猫様のサイトを見つけました。チベット系(ブータンも)の画はとても独特なのでこちらにまとめます。ラダックはインド最北の地。
アルチゴンパの壁画 緑のターラ 写真:ビノイ・ベヘル
曼荼羅の一部のようです。
The Green Tara in Alchi:
Shyama Tara seated on the sun disc. She has six hands in different gestures.A blue lotos and a book are her emblems that she is holding.
アルチ僧院仏塔内 リンチェン・サンポ 写真:西遊旅行
アルチゴンパ 天井壁画 写真:ラダック旅 紗楽様より
中央の花の真ん中から、棒?が下がっています。鐘を吊るしたのでしょうか?
アルチ・チョスコル・ゴンパのスムツェク(三層堂)内の壁画
写真:ラダック再訪の旅9様より
ティクセ僧院ドゥカン 写真:遺跡猫様
ティクセ僧院護法堂 写真:遺跡猫様
仏様が女性のようです。
ナムギャル・ツェモ僧院 写真:遺跡猫様
ニダプク石窟 写真:遺跡猫様
赤と青がものすごく鮮やか。歓喜仏が多いのですね。
シェイ王宮 写真:遺跡猫
ラダックの美しい写真は、こちらのブログ