12月に、ちょっと所用で、普段行かない市へ行きました。ショウウインドウに飾ってあった雀さんに一目惚れして、6客の煎茶茶碗を購入。10年ほど前の品だそうです。手描きの着物とか、帯とか、陶器に惹かれます。1羽1羽、表情が違うのも楽しいのです。ちょっと怒っている感じの顔とか。配色も美しいです。最初から、梅干を入れるとか、普段に使いたいと思って買いましたが、朝一番に、お白湯を飲むのに使っています。金柑の甘露煮も入ります。
赤いお皿は、鈴木誠一郎さんのもので、ケーキ皿にも、茶托にもなります。
ブリジット・バルドーと言えば、当時珍しかった、バカロレアに合格したインテリ女優。ウエストがとても細くて、バレエを習っていた若い頃。そのブリジット・バルドーが、初っ端からフリフリダンス。それがひとしきり終わったかと思えば、あの大女優ソフィア・ローレンがプロレスをしてる???かのようなダンス。かと思えば、映画の一場面なのですが、ソフィア・ローレンが謎のダンスを始め、将校も仕方なくヘンテコりんなダンスを付き合って踊り出していたら、部下?たちにそれをバッチリ目撃されて。もう大爆笑しました。「マンボ・イタリアーノ」という映画のようです。ソフィア・ローレンって、案外、コメディ映画によく出演しているのかも。そしてダンスシーンは必須ですね。彼女の映画ってよくダンスが出てくる気がします。個性派美人のソフィア・ローレンが、おバカなダンスを踊っていると、めちゃ迫力あります。
経歴を読んでみたら、ケーリー・グラントが、ソフィア・ローレンにプロポーズしていた話は、初めて知りました。
ソフィア・ローレンの顔って、クレオパトラやツタンカーメンのイメージですね。古代女王の衣装を着たら、すごく似合うと思いますし、映画クレオパトラも、エリザベス・テーラーよりも、ソフィア・ローレンの方が似合っていたのでは?
ソフィア・ローレンの素顔、人柄がインタビューによく出ています。魅力的ですね。
ソフィア・ローレンは料理の本も出版していたんですねえ。
あ、この映画は昔見たことがあると思い出しました。こういうコメディ映画だったとは。マーロン・ブランドとソフィア・ローレンの隠れんぼと鬼ごっこが笑えるのです。
あらすじ
オグデン(マーロン・ブランド)は、最近東南アジアのある国の大使に任命され、外交上の重要書類を受けとるため、東洋航路の豪華船でワシントンに行く途中であった。彼は昨夜香港でバカ騒ぎをやり、飲み過ぎてしまい、ひどい宿酔いで朝を迎えた。だが彼は自分しかいないはずの特別船室にひとりの女性が潜んでいるのに気がついた。
彼女はナターシャ(ソフィア・ローレン)という名前の伯爵夫人であったが、おとぎ話に出てくるような華やかなお姫様ではなかった。彼女は中国に亡命してきた白系ロシア人の貴族の娘で、上海で生まれ、13歳で孤児になった彼女の人生は、それ以後暗いかげがさし始め、今では香港でアメリカ水兵相手のダンサーをしていた。その彼女は昨夜の騒ぎにまぎれて、密かにアメリカへ渡ろうと、その船に乗り込んだのだった。オグデンは彼女が非常な美人なのに驚いたが、現在外交官という身分を思うと、彼女と一生をともにする気はしなかった。それにホノルルでは離婚寸前まできていたが妻マーサ(ティッピー・ヘドレン)が彼を待っていた。
船中のオグデンとナターシャは心ならずも共同生活をすることになった。彼女は彼のパジャマを着て彼のベッドに眠り、彼はソファーで仮眠し、ふたりは出来るだけ彼女が船に乗っている秘密を守ろうとした。しかし船が神戸に着いた時、彼の親友ハーベイ(シドニー・チャップリン)にそれを見破られてしまった。しかしアメリカへ行くしか望みがないというナターシャが勝って、神戸を出航した。オグデンはいつしかそんな彼女を愛しはじめていた。船がホノルルに近づくと、彼は何とかナターシャを助けようと、自分の召使と仮の結婚式をあげさせ、うまく上陸させてしまった。妻と会いますます嫌気を感じたオグデンは離婚を決意し、ワイキキの浜辺でひとり淋しく沖の船を眺めるナターシャにそっと近づいて行った。
以前何度か講演会も、地元に来られた際に行って、著書に毛筆のサインを頂戴したことがあります。最初に読んだのが、天龍寺で雲水の修行をされていた頃のお話。トイレ掃除をした、と格上の雲水に報告したら、「舐めてみろ」と言われた。というエピソードは、仰天ものでした。イラストのマルコメちゃんが、本当に可愛らしい僧侶のイラストで、和尚にそっくりでした。最近お元気かな?とのぞいてみたら、youtubeに登場されていました。今でもマルコメちゃんの面影がありますね。私がイメージする、日本の和尚さんそのものです。お元気そうで、何よりです。
住職を務められている古刹、
四十年ほど前に訪れた法隆寺のパンフレット。撮影 小川光三となっています。モノクロ写真ばかりです。中宮寺の弥勒菩薩像が、なんと言っても可愛らしいので、外せません。これは間人皇后を映した像なのでしょうか。ヘアスタイルが可愛いですし、光背のお花も可愛い。表情がとても柔らかで、美人というよりは、野に咲く可憐な花のような女性です。
そもそも法隆寺五重塔は、九州太宰府の観世音寺から移築された、という建築家の著書があるくらいですから、謎に包まれたお寺なのです。
生前の聖徳太子を映したと言われる救世観音像。唐草模様の透かし彫りが、どこまでも優美ですが、ギリシャっぽい連続模様が光背に彫られていますね。
押出仏
伎楽面
ピエロと言われたら、現代でも全く通用するお面ですね。全く古臭さを感じません。
百万塔
称徳天皇が、770年に天下太平を祈願して、作られた三重の塔。印刷物として世界最古の陀羅尼経が収められている。と書かれているのですが、パーリ語?日本語?神代文字?何語で書かれているのか、説明してありません。
このヘアスタイル、なんとなく長安のファッションですね。
まるで洞窟の中にいるかのような錯覚に陥ります。
九面観音像
他の法隆寺の像と、これだけ顔の雰囲気が全然違います。唐から719年に請来したという記録がある国宝。
か弱い感じがします。光背には、死んだ蘇我馬子のために作られたと書かれているとか。馬子のイメージと全然違うお顔ですね。
脇侍のお二人の手には、玉がありますよね。これは何でしょうね?冠の形が、救世観音とよく似ていて、てっぺんには、三日月と丸い玉があるのです。
中央の仏様の左肩のあたりに、蓮の蕾のような彫りがありますが、これがなんだかギリシャ風なんですよね。また中央の仏様の光背の葉っぱの連続模様も、ギリシャ風だと感じます。
法隆寺の回廊の柱が、エンタシスと呼ばれる、ギリシャ神殿風の、真ん中が膨らんだタイプであることは有名ですが、あちらこちらに、ギリシャ風のテイストが隠されているのが、聖徳太子を語っているのではないかと思っています。細かい装飾を注意深く見ていくと、仏教美術と思っていたものが、あれれ?この紋様はギリシャだよね?と思うものがあって、面白いです。
つまり、小林惠子先生の仮説のように、聖徳太子と呼ばれている人物は、突厥可汗、達頭タルドゥであり、またササン朝ペルシャのシャフリバザール将軍でもあったならば、ギリシャ風の飾りがあったり、ベッドで寝ていたり、チーズを食していても全然おかしくないわけです。仮説によれば、太子は日本で亡くなってはいなくて、盟友のペルシャ王を助けに、北の草原ルートを通って、日本から船で脱出して、もう帰っては来なかった。とのことです。
このパンフレットにはありませんが、ちょっとした、塔の屋根からぶら下がる、透かし彫りの飾りなども、皆ギリシャ風だなと感じるものがたくさんあります。
妻夫木さんが、反田さんの演奏を聞いて、音符が飛び出してくるようだ、素晴らしくて泣きそうになった。と言われている感性が素敵。そして反田さんは、相変わらず、大人です。