藁蛇の写真を探しました。存在は知っていましたが、これもまじまじと見たことがありませんでした。出るわ、出るわ、とこれまた検索で写真がたくさん出て来ます。縄文土器は、縄文字を使い、縄で模様をつけたということですが、縄文土器の縄の跡も蛇を表していたのでしょうね。藁蛇の分布は、蛇飾りのある縄文土器の分布と重なるのでしょうか。これら全てが、子孫繁栄を願う、縄文時代からの伝統なのではないでしょうか。
千葉県船橋市 八坂神社
埼玉県久喜市 大輪神社
蛇にお耳があるのが謎ですが。
埼玉県川口市
http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/center/bunkazai/CulturalProps/bunkazai_057.html
京都山科
藁蛇の目が、みかんなのが微笑ましい。
島根県の大元神楽の中に、藁蛇が出て来ます。白装束の神職の方々が、藁蛇を持って登場。どのような神楽なのかは、動画がないのでわかりません。写真が以下に載っています。
クリックすると写真が大きくなります。ブログ内に県名を書かれていないのですが、
上のフィールドワーク様で、八重垣神社が出てきたので検索してみたら、サルタヒコを思わせる夫婦椿が出てきました。「サルタ彦大神と竜」谷戸貞彦著によりますと、サルタ彦は精力強い神様の象徴になって行ったと書かれています。
八重垣神社の中に山神神社があり、以下の写真があります。もしかしたら、夫婦椿とは、サルタヒコとウズメノ命を表しているのかもしれません。藁蛇の原型のような縄は、古代の鳥居、二本の柱に通っているものです。天降神社の鳥居もこのようなタイプでしたね。
アメノヤチマタ(天八達之衢)で、瓊瓊杵尊の行く手に、眼力が強く恐ろしい形相の神が待ちかまえていたので、ニニギノミコトは天鈿女を使わして、彼女は胸をあらわに、裳の紐を臍の下まで下げて問いただすと、その神は猿田彦であり、瓊瓊杵尊を筑紫の日向の高千穂まで送る道案内(海の道)のために待っていたことがわかります。アメノウズメはスタイルがよく勝気な女神だったのでしょうか。
祭神となっているのが三重県鈴鹿市の椿大神社と徳島県鳴門市の大麻比古神社。椿大神社の椿と、この夫婦椿が呼応しているように思います。そして、夫婦椿と男根がセットになっていることからも、サルタ彦大神を表している気がします。