東大寺のお水取りについて、以前サライのカラー写真がある記事を紹介しました。
「古代日本人とイラン」井本英一著だったかな?と思うのですが、これもはっきりしません。メモ的に写メしておいたものです。ボケていて、読みにくいのが残念です。
お水は若狭彦神社から、カナートの技術で、奈良の二月堂に出てくる。でも東大寺のお水取りという行事は、水というよりは、火の行事に見えますよね。女人禁制の行事なので、このように描写されているのを興味深く読みました。空海が東大寺別当であった時代に、実忠がこのお水取り行事を完成させたのですね。実忠は、これだけ大きな功績があるのに、別当にはなっていないし、詳細が何も記録にない。中世ペルシア語のjud-cihr=異邦人 だったからではないか?と書かれています。インドにも詳しく、ペルシアのゾロアスター教やカナート技術にも明るい、インド系ペルシア人だったのではないか?と書かれています。
p125の最後に、原始キリスト教の行事にも似ていると書かれているのですが、不覚にも126ページを写メしていなかったのです。