古風な和風の曲、字余りてんこ盛りのコミカルな現代曲、落語家も参考にするというトーク、特異な歌手だと思います。本も10冊ほど出版されています。國學院高校時代の同級生は神主さんも。ハイフェッツを目指して、中1から上京したのに、東京芸大付属受験に落ちて、國學院に入学されたのですね。
wikiから 佐田家の本家の二男だった祖父・繁治は中国大陸や極東ロシアに渡り諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主である。その繁治と結婚した祖母エムもまたソ連のウラジオストックで料亭を営んでいたという当時の日本人女性としては異色の存在である。父・雅人 は終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の3人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は部屋が10以上もある豪邸だった。
3歳よりヴァイオリンを習い始め才覚を現す。ただし1957年の諫早の大水害によって父の事業は失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。1963年、小学校5年生のとき毎日学生音楽コンクール九州地区大会で3位、翌1964年、小学校6年生で同大会2位。ヴァイオリン指導者として高名な鷲見三郎に認められ、長崎市立西北小学校卒業後、中学1年生のときヴァイオリン修行のため単身上京する。
さだの作品には、「飛梅」「まほろば」「修二会」など仏教的なモチーフや日本の古典・民族的な題材を用いた歌も多く、太宰府天満宮や東大寺などの神社仏閣の宮司・管長らとも親交があ理、東大寺大仏殿・薬師寺・平安神宮など、寺社でのコンサートも数多く行っている。高校、大学と落語研究会に所属していた。2006年には『さだまさし トークベスト』というトークだけのベストアルバムまでリリースされ、「本業である歌のCDより売れている」(本人談)。
渋谷に「モンペトクワ」というレストランを友人と共同出資していた。故郷長崎市に「自由飛行館」がある。
檸檬というと高村光太郎の智恵子抄を思い起こしますね。高校の国語の授業に、千恵子は檸檬をがぶり、と噛んだ、というような詩があって、何故か印象的な詩でした。
今検索したら、高村千恵子の絵が出て来ました。日本女子大を出て、青鞜の表紙も描いていたとは初めて知りました。この曲が、高村夫妻をモデルに書かれているのかどうかはわかりませんが、20代でこんな情景を描く作詞作曲ができる彼は、やはり才能に溢れていますね。
線香花火
https://www.youtube.com/watch?v=MMM20fwUBo8
https://www.youtube.com/watch?v=V40xYgGiXPM
軽井沢音楽祭 鍛冶屋のポルカ
https://www.youtube.com/watch?v=91MDQwGxY0I
軽井沢音楽祭 聖夜
https://www.youtube.com/watch?v=RgVFMSSX-HY
https://www.youtube.com/watch?v=kWA06ULX6yk
https://www.youtube.com/watch?v=wiARaFNPLh8
https://www.youtube.com/watch?v=rxbm-eh0G5c
https://www.youtube.com/watch?v=AVhVNovJiog
https://www.youtube.com/watch?v=TJ4QsjjVrhc
落語家とさださんの対決
「虱騒動」の制作 トーク炸裂です
https://www.youtube.com/watch?v=OhwCNABe1Yo