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パルティアと飛鳥

1月13日のパルティア帝国の英文記事に、ようやくざっくり日本語を併記しました。

 

栗本慎一郎氏によれば、パルティアと呼んだのは、あくまでヨーロッパの人々であり、中国は安息国と呼び、本人たちは、アシュク、アスカと呼んでいた。支配者階級はミトラ教、被支配者階級はゾロアスター教を信仰したらしい。最初の首都がアサアク。二番目の都は、ミトラの町ミトラダキルト(現在のトルクメニスタンのニサ)。遊牧騎馬民族の国です。紀元前後を挟んで約500年も続いた帝国。

日本の飛鳥、明日香と関係があるのでは、と栗本氏は書かれています。パルティア帝国の右隣にサカスタン(現在のインドとアフガニスタン)がありますが、坂田、大阪、酒井、堺、坂本、サカがつく地名もありますね。

安世高という僧侶が伝道師として旅行していたと、この英文記事に触れられていますが、古代から僧侶は外交官を兼ねていることが多いですね。安禄山にしても、安がつく有名人は、パルティア帝国で、何らかの地位を占めていた貴族階級だったのでしょうか。ソグド人の典型的な苗字が安氏だという研究があります。安藤、安井、安田、という苗字がすぐ思い浮かびます。長安もそうですが、平安京にも安が入っています。都の名前に安という文字が入るのは、パルティアと関係があるのかどうか。面白いですね。

パルティアの芸術には、ギリシアの影響が濃いそうです。法隆寺の柱にエンタシス(パルテノン神殿の柱と同じ、中央が膨らんでいる柱)があるのは何故なのか、パルティアから来ているのでは?

始皇帝兵馬俑の写実的な顔の描写は、ギリシアの職人が直接関わっていたのではないかという説があるそうです。以下のBBCニュース。それなら、法隆寺を建てた現場にも、ギリシア人の職人さんが働いていた可能性は益々濃くなって来るのでは?

 

www.bbc.com

考古学者たちによると、等身大の兵馬俑の陶製像が古代ギリシャから発想得ていた可能性がある。紀元前3世紀の中国で、ギリシャの職人が地元の労働者を指導していたかもしれないという

「東方見聞録」を書いた13世紀のベネチア商人マルコ・ポーロの旅が、詳しい記録が残るものとして最初の西洋による中国訪問だと従来は言われてきたが、秦始皇帝陵博物院の李秀珍研究員は、「シルクロードが正式に開かれる前に、中国最初の皇帝と西洋との間に緊密な連絡があった証拠がある。従来考えられていたよりもずっと早い時期だ」と語った。

2002年斎藤成也 国立遺伝学研究所教授の話

東京大学の植田信太郎教授と中国科学院遺伝研究所の王瀝教授らが調べたのは春秋戦国時代、斉の都「臨淄(りんし)」があった山東半島の付け根あたりの遺跡の人骨から得た細胞内小器官ミトコンドリアのDNA。私も関わった。
 研究グループは約二千五百年前の春秋戦国時代中期と、それより約五百年新しい前漢末期、現在、同地に住んでいる人々のDNAを比較した。
 現在、臨シ跡に住む人々は日本や韓国など現代東アジアの集団と近かった。ユーラシア大陸の人類集団は欧州と中央アジア、東アジアに大きく分かれ、DNAで類似性を見ると、中央アジアの集団が東アジアと欧州の集団との中間に位置する。こうした全体状況を考えれば、この結果は、各集団がいる地理的な位置と合っており、予想通りだった。
 ところが古代人の方は意外な結果を示した。約二千年前、前漢末期に臨シにいた人々は、中央アジアの人類集団との間で高い類似性を示した。約二千五百年前の春秋戦国時代の同地の人々と一番近かったのは、なんと欧州の人類集団だった。
 この結果は中国古代、現在とは遺伝的にかなり異なる人々があちこちに移り住んでいた可能性を示している。特に欧州など西ユーラシアからの影響を考える必要がある。」

臨淄って日本に結構近いですよ。

以下の記事も写真が興味深いです。

www.kashikoken-yushikai.org

古代の大陸と大陸は、現代よりもくっついていた地図がありますよね。だから、現在思うよりも早く、移動できたのかもしれません。

  

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