庶民には想像もつかない皇族の様子をちら、と垣間見たようなお話です。
西アジアからやってきた古代天皇とその側近たちは、どこへ消えたのか。おそらく天台宗などのお寺ではないか、とあるブログで書かれていたのを読んだことがあります。菊の御紋ですね。いくつかの尼寺も菊の御紋が。中世の500年の間、1番権力と経済力を握っていたのが寺社勢力で、1つの寺が1つの都市の規模だった、と伊藤正敏教授の著書を読んでからは、至極納得です。
16歳で仏教にも通じ、法隆寺管長が旅館まで面会においでになったという邦英王、東伏見邦英伯爵となり、亀井伯爵の娘保子と結婚、後に僧侶となり東伏見慈治と改名。