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「栗本慎一郎の全世界史」

栗本慎一郎著 技術評論社 2013

 

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本にイリ川、バイカル湖など地名が出てきますが、以下の地図がわかりやすいと思います。

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シベリアといえば寒いイメージでしたが、そうでもなかったのですね。米原万里さんが通訳で行かれたサハ共和国の寒さの方が、遥かに凌駕していたようです。

一般的に知られているのは、砂漠のシルクロードですが、この本では、それよりずっと北、北満州から南シベリアを通ってミヌシンスクを経てコーカサスへ至る道を、草原の道と呼び、この道をシュメール人スキタイ人など多くの民族、青銅器文明の元となる非常用の蜜蝋、貨幣のように使われた黒テンの皮、太陽の神ミトラ信仰、絹、奴隷、鉄、金属工芸、鳥獣のイメージが通ったと書かれています。

小林惠子元岡山大助教授の、聖徳太子突厥族の可汗で、ササン朝ペルシャのシャフリバザール将軍でもあり、倭国王多利思比孤でもあったという著書「聖徳太子の真相」がありますが、この草原の道を通って行き来していたのかもしれません。とても面白い本です。

日本が満州国を作ったのは、このような背景を知っていてのことだったんでしょうか。

 

p68 この道の西部分は、今日のロシア内のタタールスタン共和国やチュバシ共和国、北コーカサスの諸国及びカザフスタンの中央から西半分の地域に当たる。13世紀、チンギスカンがモンゴルから西進して征服し、その後長男ジュチが相続してキプチャク汗国を建国したあたりが中心である。

紀元前7〜8世紀、スキタイ人コーカサス北部へも黒海北西へも簡単に行けた。だからドナウ川流域にもメソポタミアにも自由に現れることができたのだ。草原部東部は、地図上ではボルガ川の南部下流域とオビ川やエニセイ川の南部上流域である。それらの大河は川幅広くゆったりと流れている。日本の川の上流とは比較にならない緩やかさである。日本の山岳河川とはまるで規模が違うのである。

西のボルガ川も東のエニセイ川も冬には凍結するが、そうなればむしろ交通は大変便利になる。馬と簡単な橇が氷上の交通を完全保証するからである。本当の極寒時を除いてシベリアは多くの河川が流れ、沼や湖も多く、距離の割には移動が容易な地である。

 

p70 アフリカに生まれ、メソポタミアからコーカサスを通って北上した上、この道が現在の人類をシベリアへ導いた。現代文明に繋がるものは、海を通ってインドや東南アジアにでたのではない。また先にヨーロッパへ行ったのでもない。

 

p71 前4世紀にパルティアを破ったアレキサンドロス三世大王は、一時バビロニアアフガニスタン、インドを支配したが、ついに草原の道は支配できなかった。ここを支配仕切ったのは、歴史上6世紀の突厥、8世紀のキメク、9世紀のカザール、13世紀のチンギスカンのモンゴル帝国だけである。

 

p72 チュー川流域は南シベリアではなく、ミヌシンスク地方から一つ山脈を越して南に下ったところで、現在はカザフスタンキルギスが存在する。彼らはもともと南シベリアにいて、紀元後の歴史の流れの中で今の土地にやってきている。

西から東に来た場合、カスピ海からオビ川やエニセイ川上流の南シベリアに繋がる道の途中から、キルギスのチュー川流域に抜ける道が分かれる。緩やかで豊かなチュー川に沿って騎行するのは非常に楽だし、馬車でも行ける。これはモンゴルやバイカル湖に向かって急がなければ自然で便利な道である。東西に分裂したキォンヌ(匈奴)はエニセイ川上流には行かずにこの地にやってきている。

 

p73 このカザフスタン西部の草原を近世のロシア人たちはキルギス草原と呼んだ。現在ではカザフ草原である。天山山脈西部に端を発するチュー川は、柔然突厥帝国の重要部を形成し、13世紀チンギスカンの欧州遠征のルート拠点となった。キォンヌが西へ進み、さらにフン族となってローマまで遠征したのもこの道である。 

 

p74 インドもメソポタミアと直接繋がっていたのではなく、チュー川平原や南シベリアと繋がって発展した。インドはその後に東ペルシアやメソポタミアと相互干渉することになる。つまり人類文化の出発地点は、明らかにオビ川やエニセイ川上流の南シベリアの盆地である。その地域の紀元前の文明を、ミヌシンスク文明と言う。

ミヌシンスクとは現ロシア・シベリアのクラスノヤルスク地方の南、ハカス共和国の東でエニセイ川上流東岸にある盆地名だ。そこを中心に多数の亜新石器時代から青銅器時代の遺跡がある。そして実は、西はエカテリングルク東から、東はバイカル湖東南まで広がる多数の文化群が連なっているうちの一つの地域だ。

 

p76 遺跡は旧ソ連時代から旧チュルク系の共和国に分散していた。北満州がアムール源流。アムール川源流域とエニセイ川流域をまとめたあたりの草原からは、後にキォンヌ皇帝家やチンギスカンが出ている。移動と金属、この二つが、南シベリア文明の根本特徴である。