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「流転の子 最後の皇女・愛新覚羅嫮生」

 

溥儀は最後まで溥傑に内緒にしていたが、実は溥儀と関東軍の間には密約があったとは。常陸宮様を想定していた?

竹田宮妃から、今すぐ飛行機で脱出する、という電話をもらった時に浩と嫮生が同乗していれば無事に帰国できたのに、溥儀の正妻婉容を守らねばということと、夫に相談なく帰国できないと思った浩は断ったため、壮絶な帰国までの逃避行を余儀なくされた。貞明皇后からお言葉をもらって嫁いだ浩にとっては、おいそれと逃げて帰ることはできなかったのでしょう。


共産党軍に捕まり、長い日々の後釈放されたのに、日本人帰国船を目前にしながら、密告で国民軍に拘束されてしまう。最後の最後、上海からの引き上げ船が米国船が出航する前日に、浩と嫮生は映画さながらの脱走劇で田中元大尉に救われ、嵯峨家まで送り届けてもらった。この細い細い、切れない命の糸がすごいと思う。李香蘭も浩も人目をひく美人だから、どんなボロを着ていても、目立ってしまいますね。

 

川島芳子よりも、溥傑一家の苦難は長く壮絶だったけれども、夫妻と一家の揺るぎない愛情が、結果として一家の運命を救ったように見えます。また、日本との国交を早く樹立したかった親日派周恩来の支えがなかったら、文革時代に溥傑夫妻はまた命を落としたのかも。周恩来は子供はできなかったけれど、養女にしていた女優を、紅衛兵に殺されているのですね。宋慶齢ですら、文革を堂々と批判したことで、迫害されたとか。周恩来文革で命を10年削ったと言われたそうです。

最終的には上皇陛下にも、秩父宮妃、高松宮妃、紀宮様にも溥傑夫妻は面会することになるのですね。

 

p49 関東軍は、溥儀に子供がないときは、日本の天皇が世継ぎを決めることを溥儀に約束させていた。本国政府の承諾も得ず、日本の天皇に関わる重大事を関東軍司令官が決定するという信じがたい内容である。

 

p50 「溥儀」の著者、入江曜子は、もう一歩踏み込んで、「溥儀の願い出により日本から次世代の男性皇族を満州国皇太子ー密約のいう第二代皇帝として迎えること。それこそが、日満両国が一家として永遠にこの関係を不変ならしめる」という密約の抽象的な文言の裏に隠された具体的な構想であった」としている。

 

p80 新京から大栗子に伝えられた溥儀の亡命ルートは、通化から小型飛行機で平壌に向かい、そこで大型機に乗り換えて東京に行くというもので、京都の都ホテルが亡命先であった。溥儀、溥傑ほか総勢13名であった。
残された廃后や浩、皇妹たちは陸路朝鮮に入り、そこから日本に向かうことになった。

 

p81 8月18日午後11時半、日本に亡命する廃帝一行は大栗子駅を発ち、鉄路で通化に到着した。しかし、平壌を中継するはずの亡命ルートは変更され、一行は奉天に向けて飛び立った。
一番機が奉天飛行場に着陸した午前11時には、飛行場は日本側の管理下にあった。しかし、二番機が到着するとほぼ同時に、十数機のソ連軍機が滑走路に舞い降り、溥儀らは一網打尽に拘束された。なぜ進路が急に奉天へ変更されたのか。今も真相は謎のままである。その後一行はシベリアのチタを経てハバロフスクに連行され、長い抑留生活が始まった。