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「夏王朝は幻ではなかった」

岳南、朱建栄著 柏書房 2005
 

夏王朝の前にも、別の王朝、国があったようですね。炭素14による年代測定、文献にある天象記録に基づく計算から夏王朝元年は前2070年とした、そうです。文献にある五つの惑星が直列、曲列したという記録。それを米国製ソフトで計算して割り出したとか。

 

p15 夏・商・周三代の年代を確定する計画は1995年夏、宋健のイスラエル訪問がきっかけでスタートし、のちに国家プロジェクトになった。宋健は当時、副首相級国務委員兼国家科学技術委員会主任で、中国のミサイル開発の専門家であった。潜水艦の核ミサイル発射プロジェクトを担当し、宇宙工業省次官になり、通信衛星打ち上げと飛行制御実験の指揮を取った。
イスラエルの科学技術者との交流を目的に、視察団を率いてエルサレムを訪れた際、古代アッシリア学、中東とイスラエル古代史専門家のタドモル化学アカデミー副院長と出会った。タドモル氏は生粋のイスラエル人だが、中国ハルビン生まれのため、中国の歴史や風土人情への思い入れが強かった。タドモル氏は、アッシリア学研究に参加したように、中国古代史の年代の枠組み作りに協力したいとも申し出た。

 

p130 前1953年2月に夜明け前の東の地平線上に、土星木星、水星、火星と金星が下から上へと一列に並び、三月の初めまで続く五星集合があった。

 

p131 中国は大昔、天象観測を極めて重要な国の政とみなし、どの王朝でも高い位の担当官をおき、この種の観測に当たらせていた。朝廷の天官への期待が高く、催促が厳しく、真面目に観測をしなければ責任が追及され、本人が殺される運命にもなっていた。
「古文尚書」は、夏代第四の王仲康時代に天官義和が酒に浸り、日食の発生を予見できず、太陽を救う儀式にも欠席したため首をはねられた、という話を詳しく記している。

 

p169 甲骨文のほとんどは卜辞に属し、王または王室の貴族が神は霊に対し吉凶を占う文字記録であり、甲骨文だけを頼りに商代社会の姿を復元するには一定の限界がある。ただ、甲骨に刻まれた月食の順序は判明し、年代確定作業を推し進めるのに重要な役割を果たした。

 

p170 研究者らが編集に全力投球した矢先に文化大革命が勃発し、全ての資料がもう少しで破壊されるところだった。あの混乱した時期に、メンバーたちは甲骨資料を全て箱に詰め、まず河南省に運び、最後は山の奥に隠して守り抜いた。1972年になって編集作業が再開された。1979年、学者たちの心血を注いだ合集が上梓された。

 

p173 15万枚の甲骨文のうち、天文学の計算に使えると考えられた日食と月食の記録には5回の月食記録、1回の日食がある。三焔食日と解読され、皆既日食で周りに焔が見えた記録。「